シッスル勲章
[Wikipedia|▼Menu]

シッスル勲章
The Most Ancient and Most Noble Order of the Thistle

スコットランドおよびその後継国家の君主による栄典
種別騎士団勲章
標語Nemo me impune lacessit
(何人も咎なくして我を害せず)
創設者ジェームズ7世
対象君主の意思
主権者チャールズ3世
騎士団長(英語版)第10代バクルー公爵リチャード・スコット(英語版)
歴史・統計
創立1687年
最初の叙任1687年5月29日
人数16人
階位
上位席ガーター勲章
下位席聖パトリック勲章

略綬

シッスル勲章(シッスルくんしょう、Order of the Thistle)は、スコットランドの最高勲章。正式のタイトルは”The Most Ancient and Noble Order of the Thistle”。

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に於いては、イングランドガーター勲章に次ぐ2番目に高位の騎士団勲章 (order) である。ヨーロッパの騎士団勲章は中世の騎士団に由来、あるいはその制度に倣った栄典で、騎士団(勲爵士団)へ入団することが栄誉であり、記章はその団員証として授与されるものである[1]。すなわち、この勲章に叙勲されるということは、シッスル騎士団への入団を意味する。

日本語では「アザミ勲章」、「シスル勲章」又は「シッスル騎士団」若しくは「シスル騎士団」、「アザミ騎士団」と表記されることもある。また、現在のものが制定される以前にも同名の勲章が存在していたため、区別するためにその時代のものを”アザミ勲章”と表記している例も見られる[2]
歴史1822年のスコットランド訪問に際して、ハイランダーの衣装にシッスル勲章を着用したジョージ4世

その制定日時は定かではない。伝説の一つでは、809年にスコットランドのアカイウス王 (Achaius) がシャルルマーニュ帝との同盟に際して設けたとされている[3]。809年説には更に、ウェスト・サクソン王との戦いの前夜、アカイウス王の夢にセント・アンドリュー(聖アンデレ)が現れ、翌日の戦いに勝利したことから、これを記念して制定されたとの説もある。そして、現行勲章の守護聖人もセント・アンドリューとなっている[2]

一方、アザミをスコットランドの国花に制定したジェームズ3世が勲章も制定したという可能性も否定できないともされている。1535年には孫のジェームズ5世フランスフランソワ1世 へ”Order of the Burr or Thissil”を贈ったという記録が残っている[3]

しかし、これらは正式な記録がないことから、あくまでも伝説に過ぎないとの見方もある[4]

また、15世紀から16世紀、あるいはそれ以前からスコットランドには複数の勲章が存在していたが、そのうちのアカイウス王が制定した”セント・アンドリュー勲章”とジェームズ3世が制定した”アザミ勲章”が1687年に統合されてシッスル勲章となったという説もある[2]。その後スコットランドの勲章は、宗教改革 (Scottish Reformation) 期には運用が停止されていた[3]

1687年、イングランド・スコットランド・アイルランドジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)は、スコットランドの栄典制度を全面的にリニューアルし、シッスル勲章が正式に制定された。そして、政治及び宗教に関して国王(カトリック)に与するスコットランド貴族へ贈られた。しかし、翌年の名誉革命によるジェームズ2世の廃位に伴い、シッスル勲章は一旦廃止された。

1703年、アン女王によってシッスル勲章は復活した。そして、初期のハノーヴァー朝においては、プロテスタントに与したスコットランド貴族への報酬として利用された。一方ジャコバイト側でも1715年と1745年の反乱の際、ジェームズ老僭王チャールズ若僭王親子によりシッスル勲章の叙勲が行われた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef