システィーナの聖母
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『システィーナの聖母』イタリア語: Madonna Sistina
ドイツ語: Sixtinische Madonna

作者ラファエロ・サンティ
製作年1513年 - 1514年頃
種類カンバスに油彩
寸法265 cm × 196 cm (104 in × 77 in)
所蔵アルテ・マイスター絵画館ドレスデン

『システィーナの聖母』(システィーナのせいぼ、: Madonna Sistina, : Sixtinische Madonna)あるいは『サン・シストの聖母』は、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティが、その晩年1513年から1514年頃に描いた絵画祭壇画の一翼として描かれ、ラファエロが描いた最後の聖母マリアであり、ラファエロが自身だけで完成させた最後の絵画でもある。1754年にドイツドレスデンに持ち込まれ、その後ドイツの美術界に大きな影響を与え続けた。第二次世界大戦後にモスクワへと持ち去られたが、10年後にドイツに返還されて、現在はアルテ・マイスター絵画館の最重要なコレクションの3つになっている。
構成

聖シクストゥスと聖バルバラを両脇にして、聖母マリアが幼児キリストを抱きかかえている。マリアは曖昧に描かれた何十もの天使を背景に雲の上に立ち、画面下部には両翼を持つ、頬杖をついた特徴的な天使が描かれている[1][2][3][4]。アメリカ人作家、歴史家リック・スティーヴス(en:Rick Steves)は、通常では慈愛に満ちた表情で描かれるマリアがこの絵画では厳しい顔をして描かれているのは、もともとの祭壇画では中央にキリスト磔刑画が描かれていたことを反映しているためではないかとしている[5]
歴史

『システィーナの聖母』はピアチェンツァのベネディクト会サン・シスト修道院からの依頼により、祭壇画の一翼として描かれた[4][6]。ラファエロの晩年1513年から1514年ごろにかけ比較的短期間で描かれており[7]、ラファエロが描いた最後の聖母像であるとともに、自身で完成まで描き上げた最後の作品となっている[6][8]。聖シクストゥスと聖バルベラが聖母子像に描かれたのは修道院からの注文によるものと考えられている[4]。ルネサンス期の巨匠コレッジョがこの絵画を一目見たときに、そのすばらしさに圧倒され「私も凡百の一画家に過ぎない」と叫んだという言い伝えがある[9]
ドイツの購入後

1754年にザクセン選帝侯であり、ポーランド王でもあったアウグスト3世が『システィーナの聖母』を110,000 - 120,000フランで購入し、ドレスデンの自身の絵画コレクションに加えた[10][11]。2001年には美術史家ハンス・ベルティンとエレン・アトキンスが『システィーナの聖母』がドイツ美術界に与えた影響について述べている。

ラファエロの『システィーナの聖母』ほどドイツ人の想像力をかきたて、芸術と宗教との融合あるいは乖離の議論となった絵画は他に存在しない。幾度となく「世界で最高の絵画」「神」そのものであると賞賛されている[12]

伝承によれば『システィーナの聖母』は即座にアウグストゥス3世のコレクションのなかでも最重要の絵画となり、この絵画をよりよい状態で展示するために自身の宮廷を移したともいわれている[9]。ドイツ人美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが1764年に著した有名な『古代美術史』(Geschichte der Kunst des Alterthums)のなかで『システィーナの聖母』を激賞し、古典的様式とキリスト教的精神との見事な融合についてページを割いている[13]。「敬虔なクリスチャン」としてだけではなく、ギリシア・ローマ神話の女神ユノを彷彿とさせる「聖なる異教徒」にも見えるラファエロの聖母マリアの表現手法は、ドイツ人一人一人の心に「ラファエロの理想」とでもいうべきイメージを植え付けた[14]

『システィーナの聖母』について18世紀終わりに伝説が生まれた。ラファエロが実際に聖母マリアに出会い、天界の光景をその目で見てこの絵画を描いたというもので、広く人々に知られ、戯曲としても演じられるほどだった[15]。この伝説は『システィーナの聖母』を観るものを熱狂させ、中にはジークムント・フロイトのある患者のように、この絵画を観るだけで宗教的恍惚に陥るものも出てくるほどであった。ドイツロマン主義の象徴に祭り上げられ[16]ゲーテワグナーニーチェらドイツの文化人たちにも影響を与えた[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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