シカゴ
基本情報
建造所カリフォルニア州ヴァレーホ、メア・アイランド海軍造船所
運用者 アメリカ海軍
級名ノーザンプトン級重巡洋艦
建造費11,100,000USドル
艦歴
起工1928年9月10日
進水1930年4月10日
就役1931年3月9日
最期1943年1月30日、レンネル島沖海戦にて戦没
要目(建造時[1][2])
基準排水量9,300 トン
全長600フィート3インチ (182.96 m)
垂線間長572フィート (174 m)
最大幅66フィート1インチ (20.14 m)
吃水16フィート8インチ (5.08 m)
主缶ホワイト=フォスター式
シカゴ (USS Chicago, CL/CA-29) はアメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の4番艦。艦名はイリノイ州シカゴに因み、その名を持つ艦としては二隻目[注釈 1]。
第二次世界大戦においてアメリカ海軍の巡洋艦の中で水上艦、潜水艦からの攻撃ではなく航空機による攻撃で失われた唯一の艦である。
概要(英語版)として行動し[注釈 2]、一式陸上攻撃機の空襲をうけた[9][10]。海戦後の5月31日、シカゴはシドニー港で特殊潜航艇・甲標的の奇襲を受けたが[11][12]、被害はなかった[13]。
同年8月9日、ウォッチタワー作戦によりガダルカナル島でアメリカ海兵隊の輸送船団を護衛中に、三川艦隊の奇襲をうける[14][15]。「シカゴ」には酸素魚雷2本が命中し[注釈 3]、艦首に損傷を受けた[17]。また、駆逐艦「パターソン(英語版)」と同士討ちを起こした[18](第一次ソロモン海戦)[19]。1943年1月に戦線に復帰したが、戦局はガダルカナル島攻防戦の最終局面に入っていた[20]。1月29日夜から30日昼にかけての海空戦で[21]、ラバウル航空隊の陸上攻撃機の雷撃により沈没した[22]。(レンネル島沖海戦)[23][24] 「シカゴ」は1928年9月にメア・アイランド海軍造船所で起工した[5]。1930年4月10日にE. ブリトゥンによって進水、1931年3月9日にM. H. シモンズ艦長の指揮下で就役する。 ホノルル、タヒチおよびサモアへの整調巡航後、「シカゴ」は1931年7月27日にメア・アイランドを出航し東海岸に向かい、ニューヨーク州のフォート・ポンド湾
艦歴
大戦前修理のためメア・アイランド海軍造船所に到着した「シカゴ」と、損傷部位の写真。
1932年2月、「シカゴ」は偵察艦隊と共にカリフォルニア沖で例年の艦隊演習(英語版)に参加する。艦隊は西海岸を拠点とし1934年までアラスカ、パナマ運河地帯、ハワイ諸島といった太平洋海域で作戦活動に従事した。1933年10月24日、カリフォルニア州サー岬(英語版)沖合でイギリスの貨物船「シルヴァー・パーム (Silver Palm)」と衝突事故を起こし[25]、1番主砲塔の左舷付近が大きく破損し[26]、死者3名、重傷1名を出した[27]。