シカゴ_(ミュージカル)
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シカゴ
Chicago
作曲ジョン・ケンダー
作詞フレッド・エブ
脚本フレッド・エブ
ボブ・フォッシー
原作演劇版『シカゴ
』モウリン・ダラス・ワトキンス作
上演1975年 ブロードウエイ
1977年 ブエノスアイレス
1979年 ウエスト・エンド
海外プロダクション
1996年 ブロードウエイ再演
1997年 ウエスト・エンド再演
1997年, 1999年, 2000年, 2003年-2008年 北米ツアー
2001年 ブエノスアイレス再演
2006年, 2009年, 2011年 イギリスツアー
2010年 ブエノスアイレス再演
2013年 ハリウッド・ボウル
受賞トニー賞最優秀再演ミュージカル作品賞
トニー賞最優秀振付賞
ウェブサイト ⇒http://www.chicagothemusical.com/
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『シカゴ』(Chicago)は、ジョン・カンダー作曲、フレッド・エッブ作詞、フレッド・エッブおよびボブ・フォッシー脚本によるアメリカ合衆国ミュージカル禁酒法時代のイリノイ州シカゴを舞台に、記者のモウリン・ダラス・ワトキンスが調査した実際の犯罪および犯罪者を題材にした演劇『シカゴ』を基にしている。物語は刑事司法陣営の政治腐敗の風刺および著名な犯罪者の概念について描かれている。

1975年にオリジナルのブロードウエイ公演が46番通り劇場にて初演され[1]、1977年までに936公演上演された。オリジナルではボブ・フォッシーが振付も手掛け、彼のスタイルがこの作品に如実に表現されている。1979年、ウェスト・エンドに進出して600公演上演され、1996年ブロードウエイで再演され、その1年後にウェスト・エンドでも再演された。

ブロードウエイ再演では7,300回以上を上演し、再演ミュージカル作品では最長、ブロードウエイ史上アメリカのミュージカルで最長、ブロードウエイ史上海外作品も合わせると『オペラ座の怪人』、『キャッツ』に続き第3位のロングラン公演の記録を持っている[2]。ウェスト・エンドでの再演は15年近く続き、ウェスト・エンド史上アメリカのミュージカル作品で最長の記録を持っており、他に国内外のツアー公演も行っている。アカデミー賞を受賞した映画版『シカゴ』はロブ・マーシャル監督、レネー・ゼルウィガーキャサリン・ゼタ=ジョーンズリチャード・ギアジョン・C・ライリークイーン・ラティファ主演で製作された。
概要

ミュージカル『シカゴ』はジャズ全盛期時代、『シカゴ・トリビューン』紙で1924年のビューラ・アナンベルヴァ・ガートナーの裁判を取材した女性記者のモウリン・ダラス・ワトキンスが、これにヒントを得て執筆した脚本『シカゴ』を基にした辛口コメディである。1920年代初頭、シカゴの報道機関や民衆はこの2人の女性殺人犯に釘付けになっていた。当時女性が恋人や夫を殺害するニュースはとても注目を集める題材であった。この2つの事例はジャズ・エイジの女性観を変え、クック郡において陪審員による女性殺人犯の無罪放免が続く結果となった。当時の陪審員は全て男性であり、有罪を受けた殺人犯は通常絞首刑となっていた。シカゴでは女性らしいあるいは魅力的な女性は有罪判決とならなかったと伝えられている。当時『シカゴ・トリビューン』紙は女性被告の判決がどうあれ検察官を持ち上げる傾向があった。ライバルであるハースト・コーポレーション社の出版物はより被告寄りであり、女性記者は女性被告の立場、魅力、贖罪、品位に注目し、「泣きの尼」と嘲笑されていた。それぞれスタンスは違っていたが、メディアは女性被告をセレブリティとして扱うことがあった[3]

ロキシー・ハートのモデルとなったアナンは1924年4月3日、ハリー・カルステットを殺害した当時23歳であった[4]。『シカゴ・トリビューン』紙はアナンはフォックストロットのレコード『Hula Lou』を2時間かけ続けた後、夫に自分を襲おうとした男を殺害したと電話したと報じた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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