シエラ型原子力潜水艦
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シエラ型原子力潜水艦
シエラII型
基本情報
建造所ゴーリキー, 後に艤装の為にセヴェロドヴィンスクへ回航された
運用者 ソビエト連邦海軍
 ロシア海軍
建造数4隻
前級705型 (アルファ型)
671RTM型 (ヴィクターIII型)
次級971型 (アクラ型)
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シエラ型原子力潜水艦(シエラがたげんしりょくせんすいかん、英語: Sierra-class submarine)は、ソビエト/ロシア海軍の攻撃型原子力潜水艦の艦級に対して付与されたNATOコードネーム[1]。ソ連海軍での正式名は945型潜水艦(ロシア語: Подводные лодки проекта 945)、計画名は「バラクーダ」(: ≪Гранит≫)であった。また発展型の945A型(計画名:コンドル、≪Антей≫)はシエラII型のNATOコードネームを付された[2]。公式の艦種類別は、当初は潜水巡洋艦、1992年以降は一等大型原子力潜水艦(Большая подводная лодка, BPL)となった[3]
来歴

ソビエト連邦海軍のドクトリンでは、「戦略核の運用」「米空母戦闘群の阻止」「米SSBN・SSNの阻止」「欧米のシーレーンの破壊」という4つの戦略目標が掲げられていた。1970年代以降、アメリカ海軍の潜水艦戦力の激増を受けて、「米SSBN・SSNの阻止」が最重要目標に繰り上げられた。1973年には「アーガス」国家対潜総合プログラムが発動されると同時に、対潜戦の指揮統制を担う総合C4Iシステムとして「ネプチューン」の開発も着手された。これは水中固定聴音機や哨戒機が投下するソノブイ、衛星や各種艦艇などセンサーからの情報を統合処理し、対潜戦資産に指令を下すシステムであった。攻撃原潜は仮想敵の潜水艦を発見・捕捉・撃破する可能性が最も高いと見積もられ、対潜戦システムの鍵を握る重要な存在と位置づけられたものの、隻数の不足が問題になっていた[3]

一方、ソビエト連邦では、原子力潜水艦の船体構造材としてチタン合金に着目しており、1960年にチタンの工作技術が確立するのと前後してチタン製潜水艦の建造に着手した[4]。1959年には、世界初のチタン製大型潜水艦として661型(パパ型)SSGNの建造計画が承認されたが[5]、実際の建造は1961年に閣僚会議の承認を受けた705型(アルファ型)SSNが先行し、1番艦は1971年12月に竣工・就役した[4]

そして同じ1971年より、第112設計局において第3世代SSNの開発が着手された。これによって開発されたのが945型である。1972年3月には主任設計官としてニコライ・クワシャ局長が任ぜられた[1]。1番艦K-239は1979年7月20日に起工された[3]
設計

本型は、用兵上は671RTM型(ヴィクターIII型)の後継として計画されたが、技術的には、大深度潜航実験原潜として1隻のみ建造された685型(マイク型)の実用型とされる[3]
船体シエラI型 (945型) シエラII型 (945A型)

本型では高性能と船殻重量軽減の両立を求められたことから、705型(アルファ型)の知見を踏まえて、船体構造材としてチタン合金が採択された。これによって、従来の高張力鋼を使用した場合と比して、重量を25?30パーセント抑えることができた。降伏耐力は70?72 kgf/mm2といわれている[6]。なおチタン合金の採用には帯磁性の低減という恩恵もあったほか、船体表面には水中吸音材も設置されており、水中放射雑音の低減とともに、被探知性の低減につながった[3]

構造様式は他のSSNと同様に複殻式とされた。船体やセイルの形状は685型によく似ており、船体中央部は直径8メートルの円筒形、前部と後部は円錐形とされた。円筒形の部分と前後部の接続角度はわずか5度であった。艦内区画は6区画とされた[3]

大深度から20?30秒で緊急浮上できるよう、685型で実用化された固体燃料ガス発生器20基を備えた。セイル中央には、乗員全員を収容可能な離脱式レスキュー・チェンバーが装備された。また685型「コムソモレツ」の事故の後には、大幅な改良が施された[3]
機関

主機としては、945型ではOK-650A加圧水型原子炉タービンを1基ずつ搭載し、7翼のスキュード・プロペラ1軸を駆動する方式とされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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