シエラ・モレナ山脈
[Wikipedia|▼Menu]

シエラ・モレナ山脈

所在地 スペインエストレマドゥーラ州カスティーリャ=ラ・マンチャ州アンダルシア州
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度22分00秒 西経03度50分00秒 / 北緯38.36667度 西経3.83333度 / 38.36667; -3.83333座標: 北緯38度22分00秒 西経03度50分00秒 / 北緯38.36667度 西経3.83333度 / 38.36667; -3.83333
最高峰バニュエラ(英語版)(1332 m
延長450 km
幅75 km

イベリア半島における位置(橙)
プロジェクト 山
テンプレートを表示

シエラ・モレナ山脈(スペイン語: Sierra Morena)は、イベリア半島南部にある山脈。Sierra(シエラ)はスペイン語で山脈という意味でことから、単にシエラ・モレナ、或いはモレナ山脈とも表記される。
地理

スペインエストレマドゥーラ州バダホス県カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダ・レアル県アンダルシア州コルドバ県ハエン県セビリア県ウエルバ県にまたがっている。東西に長く伸びており、その長さは約450km、幅は約120kmである[1]。その東端はハエン県の北東にあるグアダラルメーナ川(英語版)の上流部、その西端はポルトガルに近いウエルバ県北西部である。イベリア半島中央部に広がる広大な台地であるメセタグアディアナ川の流域、グアダルキビール川の流域を隔てている。

最高峰は標高1,332mのバニュエラ(英語版)である[2]。その他の重要な山には1,312mのコラル・デ・ボロス、1,298mのエストレーリャ岩山などがある。

アフリカプレートが北に向かって動いた際の圧力によって隆起した結果としてシエラ・モレナ山脈が誕生した[3]花崗岩石英などの硬い古生代の岩石に加えて、スレート片麻岩などの柔らかい岩石からなる。名称は「暗い山脈」を意味し、おそらくこの山脈を構成する暗い色合いの岩や植生に由来する[4]。マリアニカ山脈(Sierra Marianica)と表記されることもある[5]

シエラ・モレナ山脈の平均標高は高くはなく、その最高峰の標高(1,332m)はイベリア半島の主要な山系の中でもっとも低い。山脈内のピークの標高は均質であり、山脈全体が600-1,300mの間に収まっている。メセタの南端のラインを形成しており、シエラ・モレナ山脈北部の大部分はメセタの標高(610-760m)をかろうじて上回る程度の標高しかない。その一方で山脈の南側にあるグアダルキビール川流域、いわゆるベティコ平原から見ると、この山脈の南斜面や渓谷は印象的で立派な地形に見える。ハエン県に位置するデスペニャペロス峡谷(英語版)はデスペニャペロス川が形成した険しい峡谷であり、両側を岩が露出した薄い壁のような山に挟まれている。メセタから山脈内部を通ってアンダルシア地方に向かう際の主要な交通路となっており、鉄道路線や欧州自動車道路E-5号線がこの峡谷を通っている。
山地モントーロ山地とカルデーニャ山地を隔てているジェグアス川

シエラ・モレナ山脈に属する山地を東から列挙する。

レルンブラール山地(Sierra del Relumbrar) : ピラス・ベルデス岩山(1,151 m)とサン・アンドレス岩山(1,224 m)

マドローナ山地(英語版) : バニュエラ(1,323 m)とコラル・デ・ボロス(1,312 m)[6]とアブラゴーソ(1,301 m)とレボリェーラ(1,161 m)

アルマデン山地(Sierra de Almaden)

アルクディア山地(Sierra de Alcudia) : ナバルマルコス(1,057 m)とフディオ(1,107 m)

テントゥディア山地(Sierra de Tentudia)(トゥディア山地) : テントゥディア峰(1,104 m)

ビエハ山地(英語版),[7](フェリア山地)[8] エル・ミリオ(811 m)

グランデ・デ・オルナチョス山地(Sierra Grande de Hornachos)(オルナチョス山地またはグランデ山地とも)

ペドローソ山地(Sierra del Pedroso)

マリーア・アンドレス山地(Sierra de Maria Andres)[9]

アルコネーラ山地(Sierra de Alconera)[10]

ペドロチェス山地(Sierra de los Pedroches)

ペニャラドローネス山地(Sierra de Penaladrones) : ペラージョ山(935 m)

アルバラーナ山地(Sierra Albarrana)

マリアンタ山地(Sierra de la Marianta)

サントス山地(Sierra de los Santos)

アグハ山地(Sierra de la Aguja)

アンドゥハル山地(Sierra de Andujar) : カベソ岩山(686 m)

カルデーニャ山地(Sierra de Cardena) : コルメーナ峰(828 m)

モントーロ山地(Sierra de Montoro) : ピンガホ岩山(805 m)[11]

カルデローネス山地(Sierra de los Calderones) : エストレーリャ岩山(1,298 m)

ノルテ・デ・セビリア山地(英語版), カピターナ岩山(960 m), アマペガ峰(910 m)

アラセーナ山地(英語版), カスターニョ岩山(962 m), アルモナステル(915 m)

アローチェ峰(Picos de Aroche)


カラトラバ・ラ・ヌエバの峠道

オルナチュエーロス山地のベンベサル・ダム

アンドゥハル山地

マドローナ山地のナセデーロ谷

ラ・シンバーラ滝

雪をかぶったカルデーニャ山地のベンタ・デル・チャルコ

アラハル村とアラセーナ山地

歴史この地域の典型的な農場

シエラ・モレナ山脈には鉛・銀・水銀・その他の金属の鉱床があり、その一部は先史時代から利用されていた。古代のイベリア人は北側のメセタと南側のグアダルキビール川流域を行き来するのにシエラ・モレナ山脈の峠を利用した[12]

荒涼とした山脈はまた、かつて山賊や追い剥ぎの出没地としても悪名高かった[13]カルロス3世の治世の1767年には山岳地帯に入植するために、アンダルシア&シエラ・モレナ山脈新居住区(英語版)という管理区分が導入された[14]ラ・カロリーナ周辺の一帯にはドイツ、スイス、フランドル地方からの住民も含む農家が入植した。この計画の目標のひとつには、この不毛の地域に安全に馬車を途中停車させられる地点を作ることがあった[15]

マルコス・ロドリゲス・パントーハ(英語版)はアニョーラに生まれ、今日のカルデニャ・イ・モントーロ自然公園(英語版)にあたるシエラ・モレナ山中にひとりで住んでいた。コルドバ出身のヘラルド・オリバレス監督による映画『Entre lobos』は、彼の生涯に基づいた作品である[16]
スペイン内戦

1930年代後半のスペイン内戦中には多くの戦いや小競り合いの舞台となった。1936年8月に行われたコルドバ攻撃(英語版)の一部であるムリアーノ山の戦い(英語版)は、スペイン共和国の悲劇的な運命を表現した、写真家のロバート・キャパによる「崩れ落ちる兵士」の写真で有名となった[17][18]。この写真はムリアーノ山の戦いで撮影されたものであると信じられていたが、後の研究によって別の場所で撮影されたものであると推定されている。内戦が終わりに向かっていた1939年1月5日から2月4日には、ペニャロージャの戦いとしても知られるバルセキーリョの戦い(英語版)がこの地域のさらに西側にあるエストレマドゥーラ前線で起こった[19]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef