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出典検索?: "シェーン・モズリー"
シェーン・モズリー
Shane Mosleyカリフォルニア州ハリウッドにて(2018年)
基本情報
本名シェーン・ダンテ・モズリー
(Shane Donte Mosley)
通称Sugar、Sugar Shane Mosley
階級ウェルター級
身長175cm
リーチ188cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 (1971-09-07) 1971年9月7日(52歳)
出身地カリフォルニア州リンウッド
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数61
勝ち49
KO勝ち41
敗け10
引き分け1
無効試合1
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シェーン・モズリー(Shane Mosley、1971年9月8日 - )は、アメリカ合衆国の元男性プロボクサー。元IBF世界ライト級王者。元WBC世界ウェルター級王者。元WBA世界ウェルター級スーパー王者。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者。世界3階級制覇王者。
アマチュア実績も豊富に持つ、天才肌のボクサーである。驚異的なスピードに乗せ、抜群のハンドスピードとパワーを兼ね備えたパンチを全階級でも屈指の回転力で連射するそのスタイルから、シュガー・レイ・レナードの再来とも言われ、「Sugar」の愛称を持つ。
韓国人の女優ジン・モズリーと結婚するが後に離婚。息子のシェーン・モズリー・ジュニアはプロボクサー。プロモーターとしてゴー・ボックス・プロモーションズを主宰している。 8歳からボクシングを始める。 アマチュア戦績260戦250勝 1993年2月11日、5回KO勝ちでプロデビュー。 1997年8月2日、フィリップ・ホリデー(南アフリカ)に挑戦し勝利を収め、IBF世界ライト級王座を獲得した。その後8度防衛し返上。 2000年6月17日、「Destiny」と銘打たれた一戦でオスカー・デ・ラ・ホーヤ(アメリカ)に挑戦し、2-1の判定勝利を収め、WBC世界ウェルター級王座を獲得した。 2002年1月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターで33戦全勝のバーノン・フォレスト(アメリカ)と対戦し、プロ初黒星となる12回0-3(110-115、108-117、108-118)の判定負けを喫し4度目の防衛に失敗、王座から陥落した。 2002年7月20日、WBC世界ウェルター級王者バーノン・フォレストと対戦し、12回0-3(111-117、112-116、113-115)の判定負けを喫し、前戦の雪辱を果たすことは出来なかった。 2003年9月13日、WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者のオスカー・デ・ラ・ホーヤと再戦し、12回3-0の判定で2年ぶりの勝利を収め、王座の獲得に成功した。しかし、モズリーはこの試合でステロイドなどのドーピング薬物を服用していた事を後に認める。 2004年3月13日、IBF世界スーパーウェルター級王者ロナルド・ライト(アメリカ)と王座統一戦を行い、12回0-3(2者が111-117、112-116)の判定負けを喫しWBA王座とWBC王座から陥落した。 2004年11月20日、WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者のロナルド・ライトと対戦し、12回0-2(114-114、113-115、113-115)の判定負けを喫し、王座への返り咲きに失敗した。 2006年2月25日、フェルナンド・バルガス(アメリカ)とWBA世界スーパーウェルター級挑戦者決定戦を行い、10回1分22秒TKO勝ちを収めWBA王座への挑戦権を獲得した[1]。 2006年7月15日、フェルナンド・バルガスと再戦し、6回2分38秒TKO勝ちを収めた[2]。 2007年2月10日、ルイス・コラーゾ(アメリカ)とWBC世界ウェルター級暫定王座決定戦を行い、12回3-0(119-108、2者が118-109)の判定勝ちを収め王座を獲得した。 2007年11月10日、WBA世界ウェルター級王者のミゲール・コット(プエルトリコ)と対戦し、12回0-3(2者が113-115、113-116)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[3]。 2008年9月27日、カリフォルニア州ホーム・デポ・センター・テニスコートにてリカルド・マヨルガ(ニカラグア)とWBAインターコンチネンタルスーパーウェルター級王座決定戦を行い12回2分59秒KO勝ちを収め王座を獲得した。 2009年1月24日、ロサンゼルスのステイプルズ・センターでWBA世界ウェルター級スーパー王者アントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦し、9回43秒TKO勝ちを収め王座を獲得した[4]。 2010年1月30日、WBC世界ウェルター級王者アンドレ・ベルト(アメリカ)と王座統一戦を行う予定だったが[5]、同年1月12日のハイチ地震でベルトの親族にも影響が出るなど試合ができるコンディションではないとしてベルトが辞退を申し入れ、試合は消滅した[6]。 2010年5月1日、無敗の5階級制覇王者フロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)との変則防衛戦(モズリー勝利の場合のみ王座防衛)を行うも0-3の判定負けを喫した[7]。 2010年9月18日、セルヒオ・モラ(アメリカ)と対戦し、1-1の判定ドローとなった[8]。 2011年5月8日、史上2人目の6階級制覇王者のWBO世界ウェルター級王者マニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦したが、3回に左ストレートでダウンを奪われるなどして12回0-3(107-120、108-120、108-119)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[9]。
来歴
幼少・アマチュア時代
1989年全米選手権:ライト級優勝
1990年全米選手権:ライト級優勝
1992年全米選手権:ライトウェルター級優勝、バルセロナオリンピック代表選考会でバーノン・フォレストに敗れ3位。
プロボクサー時代