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シェルブールの戦い
交渉を行うアメリカ、ドイツ両軍の将校
戦争:第二次世界大戦(西部戦線)
年月日:1944年6月6日?6月30日
場所:フランス 、シェルブール
結果:連合軍の勝利
交戦勢力
ドイツ アメリカ合衆国
指導者・指揮官
フリードリヒ・ドルマンJ・ロートン・コリンズ
戦力
40,000不明
損害
戦死・行方不明7,000?8,000
捕虜30,000戦死者2,800
行方不明5,700
負傷13,500
ノルマンディー上陸作戦
フォーティテュード作戦
タイガー演習
トンガ作戦
ソード
ジュノー
ゴールド
オマハ
ユタ
シカゴ作戦
シェルブールの戦い(シェルブールのたたかい、英: Battle of Cherbourg)とは第二次世界大戦中、ノルマンディー上陸作戦中の1944年6月6日に行われた、空挺部隊が降下に成功した戦いである。アメリカ空挺部隊は孤立しながらも、ノルマンディー上陸作戦に不可欠である港を占領するために約3週間にわたって困難な闘いを強いられた。 連合軍がフランスを解放する作戦に取り掛かったとき、物資、増援を送るためには深度の深い良い港を押さえる必要があり、コタンタン半島の先端、シェルブール(現シェルブール=オクトヴィル)は上陸予定地に最も近い港であったことからこの地域の早期占領を考えた。 コタンタン半島一帯は連合軍による空挺降下を阻止するために、ドイツ軍によりドーブ川(Douve River)を氾濫させて湿地帯を作り出しており(空挺降下で下に池などがあると死活問題である)、連合軍の初期計画ではコタンタン半島に空挺降下する予定はなかった。 1944年1月、上陸作戦の総括指揮官に指名されたイギリス軍のバーナード・モントゴメリーはコタンタン半島への空挺降下計画を復活させ、部分的に戦線を広げることにより、ドイツ軍を分散させ、シェルブールの迅速な占領を可能にするようにした。 6月6日真夜中、アメリカ第82空挺師団、第101空挺師団はコタンタン半島に空挺降下した。空挺部隊は輸送機がドイツ軍の対空砲火を受け分散して降下してしまったが、アメリカ第7(VII)軍団がユタビーチより進む進撃路を確保し続けた。アメリカ第4歩兵師団はわずかな死傷者で夜明け直後にユタ・ビーチへの上陸に成功した。 上陸後、第4歩兵師団は即座に西へ向かい、降下した空挺部隊と合流することになっていた。6月9日、第101空挺師団はドイツ軍によって氾濫させられていたドーブ谷を横断、その翌日にカランタンを占領し、第4歩兵師団の進撃路を確保した。 この成功によってアメリカ第7(VII)軍団がコタンタン半島を分断するために西へ進撃することが可能となり、さらに3個歩兵師団が上陸していた。その指揮官であるジョーゼフ・ロートン・コリンズ少将は最前線の部隊を交代させ、進撃が遅い場合はその指揮官を首にして進撃を急がせた。アメリカ第7軍団の進撃路を塞いでいるドイツ軍はいくつかの師団から形成された混合した部隊であったが、上陸作戦の初日、すでに空挺部隊との戦闘で多数の犠牲者を出していた。実際、この部隊は東にあるカーンへの脅威が存在しているため、この地域だけに対応するわけにはいかなかった。アメリカ軍の増援歩兵師団はのんびり到着した。ドイツ軍はドーブに殺到したが、アメリカ軍はコタンタン半島の南側を確保しつつあった。 6月16日までには自然の要害は克服されドイツ軍は混乱気味であった。
連合軍の作戦
空挺投下
コタンタン半島への進撃コタンタン半島における戦線