シェルビー・マスタング
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2007 Shelby GT-H2007 Shelby GT500

シェルビー・マスタング(Shelby Mustang )は、アメリカ合衆国フォード・モーターが製造する乗用車である。また過去にシェルビーがフォード・マスタングをベースにチューニングカーとしてモディファイ、販売(ただしシェルビーとして日本での販売実績はない)を行なった経緯がある。したがってマスタングをベースにした特定車種を指す総称であり、モデル名ではない。
概要

マスタングをベースにキャロル・シェルビー(の会社)が手がけた、いわゆるレース向けのチューニングカーで、マスタングの上位モデル/フラッグシップモデルとしてフォード・モーターから販売されている。1965年から1969年まで製造され、一部のエンスージアストから人気があり、フォードの懐古路線戦略により2006年復活した。マスタング・コブラ等、「コブラ」の名前とバッジを与えられることが多い(混同しやすいがシェルビー・コブラは別の車種)。またエンジンユニットにはバルブカバー、もしくはエアクリーナヘッドにコブラのマークもしくはロゴが与えられているのも特徴。ただしキャロル・シェルビーが手がけたものではないマスタングの上位モデルとして「コブラ」の名前を受け継いだモデル(マスタング・コブラ、マスタング・キングコブラ等)もあるが、それらはシェルビー・マスタングとは呼ばない。あくまでもキャロル・シェルビーが手がけたマスタングのことを指す。
歴史
1965 GT350/GT350R1965 GT350R

1964年、フォード・モーターはマスタングの製造、販売を開始。それに伴いフォード・モーターはマスタングの販売促進のため、SCCAのロードレース参戦を決意。マスタング・ファストバックをベースにしたロードレース用のハイパフォーマンスモデルの開発をシェルビーに委託し、GT350の開発に至った。当時のSCCS Bプロダクション・ホモロゲーション取得には、100台以上の製造販売などが条件であったが、レース出場の約款には市販車から軽量化などのライトチューニングのみ(エンジン、サスペンション、ブレーキ変更不可)で行なうというものであった。そのため、市販車がそのままレースに適応できる状態にする必要があった。GT350はこうした当時のレースシーン、アメリカのナショナリズム、オイルショック前の時代背景といった複合的背景をもって生まれた。

まずシェルビーはフォードに「チャレンジャー289ハイパフォーマンスV8 (以下、HP) を積む外装ホワイト、内装ブラックのマスタング・ファストバック」をリクエストした。

レース適用のため、ボンネットはFRP、レース用LSDサスペンションもレース用に強化されたものを、さらにエンジンはHPの高性能バージョンであるコブラ289V8を装備。このユニットはマスタングのオプション用であるHPをベースにシェルビーアメリカンがさらにチューニング。HPよりも大トルクである。

さらに細かいところでは、遮音材、制振材、ヒーター、パワーステアリングなど快適性を求めるものは一切排除し、軽量化のためアルミケースのトランスミッションや、重量配分などを考慮してバッテリーがトランクに、スペアタイアが車内に移動した。またホモロゲーションが2座席車であったことなどから、リアシートは取り除かれていた。

外見的なマスタング・ファストバックとの差は、フロントグリルおよびサイドのバッジとボンネット中央のフードシェイカー。リアの中央にある給油口もコブラのエンブレムがある。色は白地のみで、オプションで青ストライプを入れることが可能。またGT350とGT350Rの間に安全装備以外のスペック的な差はなく、エクステリアでフロントバンパーがFRP化されていたことと、フロント以外の窓がアクリル化していただけである。

1965年製造モデルはストリートモデル(通常版)が516台、ドラッグレースモデル(GT350R)が9台、その他(プロトタイプなど)が37台、合計562台とされているが、実際はストリートモデル(GT350)が526台、GT350Rが36台となった。製造、販売はシェルビー・アメリカン。

from Shelby Mustang 1965
1966 GT350/GT350H1966 GT350H

しかしあまりにレース指向が強すぎた1965年モデルは様々な苦情を呼んだ。そこで1966年モデルでは一般人に受け入れられるようデチューンが施された。レースシーンでは1965年以降、3年に渡りSCCA Bプロダクションで優勝はもちろん、上位独占という華々しいものであった。しかしその実績、人気とは裏腹に固い足回りや重いステアリング、不快な騒音や臭いなどストリートに不向きな仕様でGT350の市販車はあまりに評判が悪かった。そのためフォードのイメージ戦略として市販車の評判を向上させるべく快適性を1966年モデル以降で向上させた。それは足回りやトランスミッションなどのレース指向のスパルタンなパーツはほぼオプション化、オートマティックトランスミッションやエアコン、ラジオの取り付けオプション選択が可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。また色の選択も可能となった。外見的な特徴は、サイドクォーターが窓化されたくらいで、1965年モデルとほとんど変わっていない。

最大の特徴はハーツレンタルカーバージョンの製造が挙げられる。ハーツレンタルカーバージョンはGT350Hとして米国のハーツレンタカー店舗に提供された。これは誰でもスペシャルなマスタングを体験してもらいたいというシェルビーとフォードの意図によるものである。GT350Hは一般に販売されなかった。GT350Hの典型的なカラーは黒で(約1000台中、800台)、すべて金ストライプが入っている。貧乏なプライベーターが、レンタカーから部品をもぎ取り?僅かな保険料を払って返却した?との真偽不明の都市伝説が伝わっている。


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