シェリー・デュヴァル
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シェリー・デュヴァル
Shelley Duvall
『Bernice Bobs Her Hair』より
本名Shelley Alexis Duvall
生年月日 (1949-07-07) 1949年7月7日(74歳)
出生地 アメリカ合衆国テキサス州
ジャンル女優
映画プロデューサー
活動期間1970年 -
活動内容1970年:デビュー
配偶者バーナード・サンプソン(1970年 - 1977年)
主な作品
映画
アニー・ホール
シャイニング
ポパイ
バンデットQ
フランケンウィニー
ある貴婦人の肖像』テレビ
フェアリーテール・シアター

 受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1977年『三人の女』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
主演女優賞
1977年『三人の女』
その他の賞

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シェリー・デュヴァル(Shelley Duvall, 1949年7月7日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン生まれの女優。
来歴
1949?1969年:若年期

シェリー・アレクシス・デュヴァルは、1949年7月7日[1]、不動産業を営むボビー・ルース・クロフォード(1929年-2007年)と、弁護士のロバート・リチャードソン・ボビー・デュヴァル(1919年-1995年)の長子として、テキサス州フォートワースで生まれた[2][3]。デュヴァルには、スコット、シェーン、ステュワートの3人の弟がいた[4]。誕生直後は父の仕事の影響によりテキサス州の各所で生活をしていたが、デュヴァルが5歳の頃に、家族はヒューストンに定住した[3]

デュヴァルは芸術的かつ活動的な子どもであった。若い頃は科学に対して興味を持つようになり、10代の頃は科学者を志していた[3]。1967年にウォルトリップ高校(英語版)を卒業した後[5]、化粧品販売を行いながら、南テキサス短期大学(英語版)で栄養学と食事療法学を専攻した[6]
1970?1977年:キャリアの始まりと成功

1970年に芸術家のバーナード・サンプソンと結婚した[3]。この頃、テキサス州で『BIRD★SHT(英語版)』の撮影をしていたロバート・アルトマンとパーティーで出会った[3]。数名のスタッフは、デュヴァルの明るい存在感と、独特な容姿に魅了され、主要キャストとして映画への出演を求めた[3]。彼女はプロジェクトに参加するときのことを「私は議論することにうんざりし、自分が女優であると思い始めた。彼らが私に参加するよう求めたので、飛行機に乗ってそれを果たした。私は流されるままだった[1]」と振り返っている。デュヴァルはアルトマンが出演を依頼するまで、テキサスを離れたことはなかった。彼女はハリウッドに飛び、その後『BIRD★SHT』にてバッド・コートが演じるブルースターを愛する自由気ままな女性を演じた[1][7]

後に、アルトマンはデュヴァルを、『ギャンブラー』で不満足な婚活女性役、『ボウイ&キーチ』でキース・キャラダイン演じる男の情婦役に指名した。彼女の女優としてのキャリアの出世に伴い、夫サンプソンとの関係は崩壊し、1974年に離婚した[3]。次に、アルトマンの群像劇コメディである『ナッシュビル』にて、朦朧とするグルーピー役を演じた。『ビッグ・アメリカン』では、ファーストレディ役を演じた。

同年、デュヴァルはアルトマンから離れ、スコット・フィッツジェラルドの短編小説を実写化したテレビ映画『Bernice Bobs Her Hair(英語版)』にて裕福な女性役を演じた[8]。また、自身で『サタデー・ナイト・ライブ』を製作し、5つのエピソードに出演した[9]

1977年には、カリフォルニアの物寂しい砂漠街に住む女性を描いた、アルトマンのサイコスリラー映画『三人の女(英語版)』にて、ミルドレッド・ミリー・ラモロー役を演じた。この作品により、1977年のカンヌ映画祭及びロサンゼルス映画批評家協会賞にて最優秀女優賞を獲得し、 英国アカデミー賞にノミネートされた[10]。次に、ウディ・アレンの『アニー・ホール』に出演した。ニューヨークで『アニー・ホール』を撮影した際に、シンガーソングライターのポール・サイモンと出会った。二人の関係は深まり、約2年間の共同生活を送った。しかし二人の関係はデュヴァルが友人の女優キャリー・フィッシャーを紹介したことによって終わりを迎えた。フィッシャーは、デュヴァルからサイモンを奪った[11]
1978?1990年:大作映画への出演とプロデュース業

デュヴァルの次の作品は、スタンリー・キューブリック監督作『シャイニング』のウェンディー・トランス役であった。ジャック・ニコルソンは、ドキュメンタリー映画『Stanley Kubrick: A Life in Pictures(英語版)』の中で、「キューブリックは偉大な監督であるが、変わった監督である」と述べている。彼の几帳面な性格により、撮影には1年を要した。脚本がしばしば変更されるため、ニコルソンはそれぞれの原稿を読むのをやめた。シャイニングに必要とされるサイコホラー感を演出するためにキューブリックは役者を敵に回し、しばしばデュヴァルと議論をしていた。キューブリックは意図的にデュヴァルを孤立させ、バットでニコルソンを殴るシーンでは127テイクも撮影を繰り返した。撮影によるストレスで抜け落ちた髪の毛の塊をデュヴァルはキューブリックにプレゼントした[12]。後にデュヴァルは、これまで出演してきた全ての映画よりも、シャイニングの撮影で学ぶことが多かったと語っている[13]。デュヴァルがロンドンでシャイニングを撮影している間に、アルトマンはロビン・ウィリアムス主演の新作映画『ポパイ』に、オリビア・オイル役としての出演を依頼した。ロジャー・イーバートは、この役を演じるために彼女は生まれてきたと信じていた。

シェリー・デュヴァルは、きらめく個性を持つ貴重な陶器のようだ。彼女のような役者は他におらず、もしオリビア・オイルを演じるために生まれてきたことが事実であれば、彼女は1970年代の若い女優の中で性質の異なるキャラクターを最も演じることができる女優であることも事実である[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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