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シェトランド諸島
Shetland Sealtainn
シェトランド諸島 (Shetland [???tl?nd]、中世スコットランド語:?etland、スコットランド・ゲール語: Sealtainn [??al??t????])は、スコットランドの亜寒帯に属する群島。北部諸島に含まれ、グレートブリテン島の北東部に位置する。 オークニー諸島の約80km北、フェロー諸島の南東約280kmに位置し、シェトランドの西は大西洋、東は北海となる。総面積は1,468km2で、2009年時点の人口は22,210人である[1][2]。スコットランド議会のシェトランド選挙区を構成しており、スコットランドの32あるカウンシル・エリアの1つである。シェトランドの行政中心地で、唯一の自由都市はラーウィックである。 諸島のうち最大の島は単にメインランド島といい、面積は967km2、スコットランドの島のうち3番目、ブリテン諸島中5番目の面積を持つ[3]。さらに15の有人島がある。シェトランド諸島は海洋性気候であり、複雑な地質、険しい海岸線と総じて低い丘陵がある。 石器時代より人が定住し、島について最古に書かれた文献はローマ時代のものである。歴史上最古の時代はスカンジナビア、特にノルウェーの影響を受け、島々は15世紀までスコットランドの一部ではなかった。シェトランドがグレートブリテン王国の一部となった1707年から、漁業は今日まで経済の重要な側面で有り続けているが、北ヨーロッパとの貿易は衰退していた。しかしいまや連合王国の一部となり、1970年代の北海油田発見が大幅にシェトランド諸島経済・雇用・公共部門の収益を押し上げた。
概説
語源16世紀の地図カルタ・マリナに描かれたシェトランド
シェトランドの名前は古ノルド語のhjalt(柄)とland(土地)に由来する[5]。
紀元43年と77年、ローマの著述家ポンポニウス・メラ(英語版)と大プリニウスは、それぞれHaemodaeとAcmodaeと呼ぶ7つの島々についてふれた。この名称はどちらもシェトランドのことであると推測されている。シェトランドについて書かれた古い記述は他にもある。紀元98年、タキトゥスはローマのオークニー諸島発見と征服について記した後、ローマ艦隊はトゥーレを見たとした[Note 1] 。古いアイルランド文学において、シェトランドは『ネコの島』(Inse Catt)としてふれられた。これは島にいたノース人以前の住民の名であった可能性がある。Cat族はスコットランド本土北部の一部を占領し、彼らの名はケイスネスや、サザランドのゲール語名Cataibhに見つけることができる[8][Note 2]。
現在の名であるシェトランドの最古のかたちは、1190年に記されたHetlandensisである。様々な変遷のあとに1431年にはHetlandとなった。ピクト語のcatの発音が古ノルド語の名称を形成することが可能である。その後16世紀にはHjaltlandとなった[10][11][Note 3]。
ノルン語が徐々にスコットランド語に取って代わっていったように、Hjaltlandは?etlandとなった。最初の文字は中世スコットランド語のものである。?の発音は元々のノルン語とほとんど同じである。ヨッホを文字として用いることが中断されたとき、それは多くの場合似たような文字であるZに置き換えられた。それゆえにZetlandという誤ったスペルが1975年以前にカウンティ議会において用いられていたのである[13][14]。
一部の派生は不明瞭で古ノルド語以前(おそらくはピクト語、ケルト語以前の名称)のものもあるだろうが、シェトランドの島々は個々に古ノルド語の名称を持っている[15]。
地理ブロッホ・オブ・ムサ
シェトランド諸島はスコットランド本土の北170kmにある。海岸線は2702kmある。諸島の中心地にして最大の町であるラーウィックは人口約7500人が暮らし、町の16km以内に諸島の人口の約半分が暮らしていることになる[16] 。1708年まで諸島の中心であった西岸のスカロウェイは、人口が1000人以下である[17][18]。
およそ100ある島のうち、有人島は16しかない。主要島はメインランド島、次いで北のイエル島、アンスト島、フェトラー島、東のブレセー島(英語版)とホエルセー島(英語版)である。イースト・バラ島(英語版)、ウエスト・バラ島(英語版)、マックル・ロー島(英語版)、パパ・ストア島(英語版)、トロンドラ島(英語版)、ヴァイラ島(英語版)はメインランド島の西にあってより小さい。メインランド島から遠く離れている有人島には、フーラ島、フェア島、アウト・スカリーズ島(英語版)がある。
無人島には、鉄器時代に建てられた塔・ブロッホ・オブ・ムサが最高の保存状態で残るムサ島(英語版)、イギリス最大の陸繋島でメインランド島と陸続きとなっている聖ニニアンの島、ブリテン諸島最北の地であるアウトスタック島がある[19][20][21] 。シェトランド諸島の位置から、『国内で最も北』という形容詞がつく記録が多い。マネス城は国内最北にある城であるし、スコーは国内最北の集落である[22][23]。ラーウィックを見下ろすシャーロット砦
数多くの断層や褶曲の軸があるシェトランドの地質は複雑である。シェトランドの島々はカレドニア造山運動の北の前哨基地にあたり、先カンブリア時代の変成岩であるルイジアン、ダルリアダンの露頭、モイン累層群の変成岩があり、それらはスコットランド本土にあるものと似た歴史をたどっている。