シェイク・ハシナ
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シェイク・ハシナ

シェイフ・ハシナ

ハシナ・ワゼド

バングラデシュ政治家シェイク・ハシナ??? ?????? ???????

生年月日 (1947-09-28) 1947年9月28日(76歳)
出生地 パキスタン 東ベンガル
所属政党アワミ連盟
バングラデシュ人民共和国首相
在任期間1996年6月23日 - 2001年7月15日
バングラデシュ人民共和国首相
在任期間2009年1月6日 -
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シェイク・ハシナ・ワゼド(ベンガル語: ??? ?????? ???????、1947年9月28日 -)はバングラデシュ政治家。同国首相を延べ20年以上に渡って務めており、国防大臣も兼任している。バングラデシュの二大政党のひとつ、アワミ連盟党首。同国南西部のダッカ管区ゴパルガンジュ県トゥンギパラ出身。信仰する宗教はイスラム教スンナ派。日本のメディアでは現在は シェイク・ハシナ の表記が一般的だが、シェイフ・ハシナ と表記される場合もあるほか、かつては ハシナ・ワゼド とする記述もよく見られた。
経歴

パキスタンからのバングラデシュの独立を果たし国父とされるムジブル・ラフマンの長女で、1975年クーデターで父が暗殺[1]された際に西ドイツにいて生き残った。以後、インド亡命生活を送ったが、1981年に帰国を果たし、アワミ連盟の党首となった。その後、1983年フセイン・モハンマド・エルシャドがクーデターで政権を握り大統領となると、アワミ連盟を率いてこの政権に対する反対運動を展開し、このため再三軟禁されることとなった。

エルシャド大統領の軍事独裁政権が倒れたのち1991年の選挙ではライバル、カレダ・ジア率いるバングラデシュ民族主義党に敗れたが、続く1996年の議会選挙には勝利し、首相に就任した。1997年に首相として来日した際には、早稲田大学から名誉博士を贈られ、記念公演をおこなった[2]

しかし、2001年の議会選挙では再びカレダ・ジアの民族主義党に敗れ下野した。2007年に予定されていた次の選挙は非常事態宣言によって延期され、ハシナも恐喝容疑で捜査を受ける異例の事態となったが、結局選挙は2008年12月に実施され、アワミ連盟を軸にエルシャド派なども結集した政党連合「大連合」が圧勝、2009年1月にハシナが再度、首相に就任した。2014年5月には訪日し、バングラデシュの国旗について「父は日本の日の丸を参考にした。」と証言した[3]
家族

長男のサジェーブ・ワゼド(英語版)(1971-)は米テキサス大学アーリントン校でコンピュータエンジニアリングの学士号、ハーバード大学ケネディ・スクールにて行政学の修士号を取得。2007年にはダボス世界経済フォーラムにて、世界の若きグローバルリーダー250人の1人に選ばれた。2014年より母であるシェイクの情報通信技術問題顧問を務めている。アワミ連盟所属[4]

長女のサイマ・ワゼド(英語版)(1972-)は2023年11月1日に世界保健機関(WHO)の南東アジア地域事務局長に無記名投票で選出されたが、サイマ以外の候補者は医師もしくは博士号保持者で、サイマの持つ博士号は祖父の名前を冠した大学から贈られた名誉博士号であると見られることから、透明性や縁故主義の疑念が生じる擁立とも指摘された[5]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

米国のバラク・オバマ大統領、ミシェル・オバマらと。左端は長女のサイマ(英語版)。(2009年9月23日)

インドのナーマラ・シサラマン財務大臣らと(2017年4月10日)

左からハシナ、エストニアのカヤ・カッラス首相、タンザニアのサミア・スルフ・ハッサン大統領、スコットランド首相のニコラ・スタージョン(2021年11月2日)

出典^ “死刑執行人となった受刑者 バングラデシュ”. AFP.BB.News (2023年12月30日). 2023年12月31日閲覧。
^ “名誉博士学位授与者 シェイク・ハシナ バングラデシュ人民共和国首相 記念講演(抄訳)”. 早稲田大学 (1996年7月4日). 2018年11月14日閲覧。
^ 清水憲司 (2014年5月27日). ⇒“バングラデシュ首相:日の丸参考に国旗…親日アピール”. 毎日新聞. ⇒http://mainichi.jp/select/news/20140528k0000m030031000c.html 2014年5月29日閲覧。 
^ “SAJEEB WAZED - Adviser to Hon'ble PM”. バングラデシュ政府 - Leveraging ICT. 2023年11月2日閲覧。
^ “WHO、地域事務局長にバングラ首相の娘選出 縁故主義疑惑も”. AFPBB News. フランス通信社. (2023年11月2日). https://www.afpbb.com/articles/-/3489338 2023年11月2日閲覧。 

関連項目ウィキメディア・コモンズには、シェイク・ハシナに関連するカテゴリがあります。

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