シウタデリャ公園 (カタルーニャ語:Parc de la Ciutadella)は、スペイン、バルセロナ、シウタ・ベリャ区(ca)にある公園。バルセロナ有数の広い公園で、かつて要塞がこの場所にあったためにこの名がついた。面積は17.42ヘクタールあり、園内にはカタルーニャ自治州議会議事堂(es)、バルセロナ動物園がある。
歴史1806年のバルセロナの地図。右下に星型の要塞がある
スペイン継承戦争さなかの1714年9月11日、13ヶ月にも及んだバルセロナ包囲戦で、バルセロナはフェリペ5世率いるブルボン軍によって陥落させられた。戦後の1716年から、フェリペ5世はフランドル人軍事技師ヨリス・ファン・プロスペルに命じ、バルセロナを監視するためこの場所に要塞を築いた。星型の要塞は、当時ヨーロッパ最大級であった。バルセロナを見下ろすムンジュイックの丘の上には、既にムンジュイック城があった。
要塞建設のためにリベラ区(es)が廃止され、1200軒の住宅が壊された。修道院のあった場所は灌漑用運河にされた。約4500人が住む場所を放棄して退去した。 バルセロナ市民の、スペイン中央政府に対する憎悪の象徴であった要塞は、1841年に監視委員会が廃止を決定した。しかし2年後、摂政マリア・クリスティーナは要塞全体を壊さずに復興するよう命じた。フアン・プリム将軍はバルセロナ市へ資金を提供した。しかし、1868年革命 1888年、バルセロナ万博のため、バルセロナ市長フランセスク・リウスは、建築家ジュゼップ・フォンセーレに公園の開発を依頼した。アントニ・ガウディは水場の設計をし、滝の下にグロットをつくった。園内には、当時の優れたカタルーニャ人彫刻家たちの作品が設置された。
要塞の破壊
万国博覧会
総督邸宅
ビクトー・バラゲー像、マネル・フシャー
外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、シウタデリャ公園に関連するカテゴリがあります。
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