シアン化物中毒
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シアン化物中毒
別称シアン化物毒性(cyanide toxicity)、青酸中毒[1]

シアン化物イオン
診療科毒物学、救命医療(critical care medicine)
症候学初期症状:頭痛めまい、頻拍(fast heart rate)、息切れ嘔吐[2]
末期症状:発作(seizures)、心拍数低下(slow heart rate)、低血圧、意識消失(loss of consciousness)、心停止[2]
通常の発症数分間[2][3]
原因青酸化合物(cyanide compounds)[4]
リスクファクター住宅火災、金属研磨(metal polishing)、特定の殺虫剤、リンゴの種を食べること[3][2]
診断法症状および血中乳酸塩の増大(high blood lactate)に基づく。[2]
治療除染した上での支持療法(100%酸素の吸入)、ヒドロキソコバラミン[2][3][5]
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シアン化物中毒(シアンかぶつちゅうどく、: cyanide poisoning)は多くの種類のシアン化物にさらされることによって起こる中毒である[4]。シアン化合物中毒(シアンかごうぶつちゅうどく)、シアン中毒(シアンちゅうどく)、青酸中毒(せいさんちゅうどく)とも呼ばれる。
概説

中毒の初期症状には、頭痛、めまい、頻脈息切れ、そして嘔吐が含まれる。その後に発作、徐脈低血圧、意識消失、心停止になることがある[2]。症状は通常、数分以内に出始める[3]。たとえ一命を取りとめたとしても、長期にわたる神経学的問題が残ることがある[2]

シアン化物を含む有毒な化合物にはシアン化水素ガスや多くのシアン化物が含まれる[2]。この中毒は住宅火災で生じた煙を吸ったあとで比較的よく起こる[2]。シアン化物にさらされる可能性のあるその他のルートには金属研磨、特定の殺虫剤、医薬品のニトロプルシドにかかわる仕事場、そしてリンゴアンズの種子のような特定の種子が含まれる[6][7]。液体状のシアン化物は皮膚を通して吸収されうる[8]。シアン化物イオン細胞呼吸を妨げ、身体の組織に酸素を使えなくさせる[2]

この中毒を診断するのは難しいことが多い[2]。住宅火災にあった人のうち意識レベルが低下し、低血圧になり、あるいは血中乳酸塩が高くなっている人はこの中毒が疑われることがある[2]。シアン化物の血中濃度を測定することはできるが時間がかかる[2]。血中濃度が0.5?1 mg/Lの場合中毒は軽度であり、1?2 mg/Lの場合は中度、2?3 mg/Lの場合は重度、3 mg/L以上の場合は死亡に至る[2]

もし誰かが、シアン化物にさらされたのではないかと疑われる場合、その人を暴露物質の出所から移動させて浄化する[3]。治療には、支持療法や100%酸素の吸入が含まれる[2][3]

ヒドロキソコバラミン(ビタミンB12a)は解毒剤として有用だと思われていて、最初の治療法として使われる[5]チオ硫酸ナトリウムも投与されることがある[2]。歴史的にシアン化物は、集団自殺ナチス大量殺戮をするときに使われてきた[3]
歴史
自殺

シアン化物は効くのが速い自殺の手段としてときおり使われる。シアン化物は強い胃と比較的高い水準で反応する。

1937年2月、ウルグアイ人の短編小説家オラシオ・キロガ(Horacio Quiroga)はブエノスアイレスの病院でシアン化物を飲むことによって自殺した。

1937年、ポリマー化学者のウォーレス・カロザースはシアン化物を使って自殺をした。

1943年、第二次世界大戦中にヴェモーク(Vemork)重水工場を破壊するために行われたガンナーサイド作戦(ドイツによる原子爆弾の開発を止めようとする、あるいは遅らせようとする試み)で、特殊部隊員たちは口の中で保持するように作られたシアン化物の錠剤(ゴムの中に封入されたシアン化物)を与えられた。特殊部隊員たちはドイツ側に捕らえられた場合、その錠剤を噛んで飲み込むよう指示されていた。その錠剤は3分以内に必ず死ねるように作られていた。

シアン化物の中でも特にシアン化水素の純正液体は、ドイツ第三帝国で自殺の手段として好まれた。エルヴィン・ロンメル(1944年)、そしてアドルフ・ヒトラーの妻のエヴァ・ブラウン(1945年)が、さらにナチスのリーダーだったハインリヒ・ヒムラー(1945年)が、そしておそらくマルティン・ボルマン(1945年)およびヘルマン・ゲーリング(1946年)もこのシアン化水素を自殺するときに使った。

1954年、アラン・チューリングは――当時のイギリスでは違法だった――同性愛関係を持ったという有罪判決を受けてホルモンの去勢を受けることを強制された後、自殺するためにシアン化物溶液を注入したリンゴを使ったと考えられている。

1978年11月18日、ジョーンズタウンジム・ジョーンズと何人かの人民寺院のメンバーが「革命を起こす自殺」(revolutionary suicide)と呼ばれるイベントを開いた。そのイベントの中で、さらにはそのイベントの録音テープに基づいて、そしてそのイベントの前に行なわれた討議の中で総勢909人が亡くなった。その際、2人以外の全員は明らかにシアン化物中毒によって亡くなった。ジョーンズタウンでの服毒自殺の後、人民寺院のメンバーたちはガイアナのポート・ケイトゥマ(Port Kaituma)で他の5人を殺害した。


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