シアトル・マリナーズ
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シアトル・マリナーズ
Seattle Mariners
1977年創設



所属リーグ


アメリカンリーグ (1977年 - )

西地区 (1977年 - )'


チーム名


シアトル・マリナーズ (1977年 - )

本拠地
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ワシントン州シアトル (1977年 - )


T-モバイル・パーク (2019年 - )

セーフコ・フィールド (1999年 - 2018年)


キング・ドーム(1977年 - 1999年)

永久欠番

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11

24

42


獲得タイトル(獲得年)

ワールドシリーズ優勝(0回)

リーグ優勝(0回)

地区優勝(3回)


1995

1997

2001

ワイルドカード(2回)


2000

2022


球団組織
オーナージョン・スタントン
GMジェリー・ディポート
監督スコット・サーバイス

シアトル・マリナーズ(英語: Seattle Mariners、略称: SEA、マ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はワシントン州シアトルにあるT-モバイル・パーク
概要

MLBで最北端(北緯47度35分)に位置する。チーム名(船員水兵の意)は、太平洋岸北西部最大の港町であることが由来。

2001年に記録したシーズン116勝は、アメリカンリーグ史上最多勝利記録、またMLB史上最多勝利タイ記録であり、現在もその記録を保持している[1]。一方、MLB30球団で唯一ワールドシリーズ進出を経験した事が無い[2]。かつては任天堂山内溥が出資しており、イチローをはじめとした日本人選手が11人所属していた経緯から、日本との繋がりが最も強い球団である。
球団の歴史特筆事項を記載する。全年度別の詳細についてはシアトル・マリナーズの歴史へ、シーズン成績についてはシアトル・マリナーズの年度別成績一覧を参照
球団創設以前

1969年に実施されたMLBエクスパンション(英語版)によって、ワシントン州シアトルにパイロッツ(Pilots)というMLB球団が創設された。しかしパイロッツは活動1年目にして早くも財政的に行き詰まり、後のMLBコミッショナーであるバド・セリグが買収、ウィスコンシン州ミルウォーキーへと移転させミルウォーキー・ブルワーズに改称した[3]。シアトルは、この移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。この訴訟は1976年まで続けられたが、MLB機構がシアトルに球団を設置するという条件を提示、告訴は取り下げられた。
1977年球団創設・創生期

1977年に実施されたMLBエクスパンション(英語版)により球団創設。名称を一般公募した結果15,000以上の応募があり、600以上の名前からマリナーズ(Mariners)が選ばれた[4]。監督にはダレル・ジョンソン(英語版)が就任。同年4月6日、球団史上初の試合となる開幕戦が、アメリカンリーグ初のドーム球場である完成直後のキングドームで行われた。開幕投手はディエゴ・セギー(英語版)で、対戦相手はカリフォルニア・エンゼルス。スコアは7対0で敗戦となったが、試合には57,762人の観衆が詰め掛け全席完売[5]。初勝利は開幕シリーズ第3戦、9回裏に2点を奪う7対6の逆転サヨナラ勝ちであった[6]。1年目は64勝98敗という7チーム中6位の成績で終えたが、観客動員数は130万人を超え当時のMLBエクスパンションチームとしては最高を記録。1979年7月17日には58,905人の観衆をキングドームに集めオールスターゲームを初開催した[7]
1980年代

1982年フロイド・バニスターが球団史上初の奪三振王を獲得するなど躍進し、7月8日には球団創設以来最大の貯金7を記録[8]。最終的に76勝86敗となるが7球団中4位と過去最高となる。 1983年、後に通算250盗塁を記録するハロルド・レイノルズ1984年新人王となったアルビン・デービスや、ルーキーで奪三振王を獲得したマーク・ラングストンなど、ドラフトから育成した初期の有望株達が続々とメジャー昇格を果たした。 1987年ケン・グリフィー・ジュニア全米ドラフト1位で指名すると、9月にはエドガー・マルティネスがメジャーデビュー。ハロルド・レイノルズは現在も球団シーズン記録である60盗塁を記録し盗塁王、マーク・ラングストンがデビュー4年間で3度目の奪三振王を獲得するなど飛躍した。1989年、選手としてロッテオリオンズにも所属したジム・ラフィーバーが監督に就任すると、マーク・ラングストンらとの交換トレードでランディ・ジョンソンらを獲得。19歳となったケン・グリフィー・ジュニアや21歳となったオマー・ビスケルが開幕ロスター入り。ここにエドガー・マルティネスも加え、後にアメリカ野球殿堂入りを果たす選手達が名を連ねるなど次第にチーム力が向上、観客数も増加していった。
1990年代前半エドガー・マルティネス 1997年

1990年6月2日にランディ・ジョンソンが球団史上初のノーヒットノーランを達成[9]、8月にケン・グリフィー・ジュニアの実父ケン・グリフィー・シニアを獲得しMLB史上初の親子チームメイトが誕生、9月14日には親子初の2者連続本塁打を記録した[10]。彼らの活躍を筆頭に注目を集め年間観客動員が初めて150万人を突破すると、翌1991年には球団創設15シーズン目にして初の年間勝ち越し(83勝79敗)を達成、観客動員も214万7905人と当時のフランチャイズレコードを樹立した。1992年、球団が売りに出されフロリダ州タンパベイへ移籍の可能性が高まる中、地元ワシントン州選出のゴートン(英語版)上院議員やガードナー(英語版)州知事らが任天堂に買収を持ちかけるなどしたが[11]任天堂オブアメリカが代表を務め地元投資家らが参加した「ベースボールクラブ・オブ・シアトル」を結成し球団買収を表明、当初アメリカカナダ以外の国にチームの所有権が移る事に反対もあったが、7月1日にMLBから正式承認され「シアトル・マリナーズ」存亡の危機を救った[12]。チームではエドガー・マルティネスが球団史上初のア・リーグ首位打者に輝くなど躍進。1993年ルー・ピネラを新監督として採用すると、7月28日にはケン・グリフィー・ジュニアが現在もMLB史上最長記録である8試合連続本塁打を達成、ランディ・ジョンソンが現在も球団シーズン記録である308奪三振で奪三振王を獲得するなど活躍し、82勝80敗と勝ち越し。またドラフト会議では全米1位でアレックス・ロドリゲスを指名した。 1994年ホームランダービーで優勝するなど好調を維持し過去最高のペースで40本塁打に到達したケン・グリフィー・ジュニアであったが、8月12日のMLBストライキで突然シーズンが中断、そのまま再開されることもなく球団史上初のア・リーグ本塁打王が確定した。
1995年左からジェイ・ビューナー、ダン・ウィルソン、ランディ・ジョンソン、エドガー・マルティネス、ケン・グリフィー・ジュニア 2010年

1995年は、マリナーズ史上最も重要で歴史的な年と語られている[13]。前年7月19日、試合開始前に起こったキングドーム天井崩落事故に揺れるシアトルで、新球場建設資金の債券発行の是非決定を控え厳しい状況が伝わる中、支持を得るにはマリナーズの躍進が極めて重要と位置づけられていた。しかし5月26日にケン・グリフィー・ジュニアが手首を骨折するなど戦力が低下、8月2日には首位カリフォルニア・エンゼルスに「13ゲーム差」をつけられ、優勝も新球場建設も消えかけた時、球史に残る大逆転劇が始まった。最優秀防御率奪三振王の2冠に加えサイ・ヤング賞を受賞したランディ・ジョンソン首位打者得点王に加えOPSでも両リーグ最高を記録したエドガー・マルティネス、チーム最多の40本塁打121打点を記録したジェイ・ビューナーらを中心に8月3日から7勝1敗と反攻を開始。


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