ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ
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『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』
ハウリン・ウルフスタジオ・アルバム
リリース1971年8月
録音1970年5月2日5月4日5月6日 - 7日 ロンドン オリンピック・サウンド・スタジオ[1]
ジャンルブルース
時間41分30秒
レーベルチェス・レコード
ローリング・ストーンズ・レコード
プロデュースノーマン・デイロン
専門評論家によるレビュー


AllMusic link

Robert Christgau A- link

チャート最高順位

79位(アメリカ[2]

ハウリン・ウルフ アルバム 年表

メッセージ・トゥ・ザ・ヤング
(1971年)ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ
(1971年)ライヴ・アンド・クッキン
(1972年)

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『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(The London Howlin' Wolf Sessions)は、アメリカ合衆国ブルース・ミュージシャン、ハウリン・ウルフ1970年に録音、1971年に発表したスタジオ・アルバム。イギリスのロック・ミュージシャンを従えた録音で、ジャケットにはエリック・クラプトンスティーヴ・ウィンウッドローリング・ストーンズビル・ワイマンチャーリー・ワッツの名前がフィーチャリング・ゲストとして記載された。
背景

チェス・レコードのスタッフ・プロデューサーであったノーマン・デイロンは、1968年8月に行われたクリームとエレクトリック・フラッグ(英語版)のフィルモア・オーディトリアム公演の楽屋で、クラプトンにウルフとの共演アルバムのアイディアを持ちかけた[3]。そして、1970年4月末にウルフが渡英したのに伴い、本作のためのセッションが実現した[3]。初日のセッションではクラウス・フォアマンリンゴ・スターがリズム・セクションを務めたが、オリジナル盤では、この時の録音からは「アイ・エイント・スーパースティシャス」のみ採用され、以後のセッションではビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが参加した[3]。なお、本作には長年ウルフと共に活動してきたギタリストのヒューバート・サムリンも参加しており、チェス・レコード側はサムリンのロンドンへの渡航費を払うことを渋ったが、クラプトンの強い希望によりセッションへの参加が実現した[3]

一部のパートはアメリカでオーバー・ダビングされた。ホーン・セクションは、本作のロンドン・セッションでハーモニカを吹いたジェフリー・カープのバンド「43rd Street Snipers」のメンバーにより、更にフィル・アップチャーチやラファイエット・リークといった奏者も起用された[3]。また、フィーチャリング・ゲストとして紹介されているスティーヴ・ウィンウッドも、実際にはオーバー・ダビングでの参加で、トラフィックのアメリカ・ツアーの合間にピアノとオルガンのパートを録音した[3]
反響・評価

アメリカでは自身唯一となるBillboard 200入りを果たし、1971年9月11日に最高79位を記録した[2]。また、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは1971年9月18日に28位を記録した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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