ザ・レイプ・オブ・南京
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『ザ・レイプ・オブ・南京』(ザレイプオブなんきん、原題:The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II)は、中国系アメリカ人作家アイリス・チャンが著した南京事件(南京大虐殺)に関する著作。原著は1997年に英語で発刊され、中国語、フランス語および日本語に翻訳された。
概要

日中戦争中の1937年12月の南京陥落後に発生した「南京大虐殺」を、英語で書かれた作品として初めて本格的に取り扱ったものである。三部構成で、第一部では、日本、中国、そして、第三者としての欧米という三方向の視点から迫ろうとしている。第二部では、第二次世界大戦後の冷戦を背景に、南京大虐殺がアメリカやヨーロッパでどのように扱われていくようになったかを分析している。第三部では、「南京大虐殺」を半世紀以上にわたり人々の意識から遠ざけようとしてきた勢力について書いている。なお、この "rape" は、物品の略奪や女性に限らず奴隷とするための男・子供の拉致を含む古い用法で、例えば『The Rape of the Sabine Women』(サビーニの女たちの掠奪)といった風に西洋絵画のタイトル等にも多く、町全体の劫掠といったイメージとよく結びつくために敢えて使ったものと見られる。
執筆の動機

チャンは少女時代より、両親から「南京大虐殺」の話を聞いていた[1]。しかし小学生の頃、図書館で「南京大虐殺」に関する書物を探したが何も見つからず、学校でその事件について教えられることもなかった。20年後に、この事件に関する記録映画を制作していたプロデューサーに出会い、この事件に再び向き合うことになった。1994年サンノゼ市近郊で中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」が主催した集会に参加したときに、会場に展示されていた日本軍による残虐行為とする写真を目にして衝撃を受け、本書の執筆を決意したとされる。
調査

チャンはアメリカ国内ではアメリカ国立公文書記録管理局イェール大学図書館などで資料を収集し、当時のアメリカ人ジャーナリストや南京安全区国際委員会のメンバーの遺家族などにも取材をおこなった。さらに中国取材旅行では、中国社会科学院歴史研究所や南京大虐殺紀念館などの協力を得て、資料収集や当時の生存者へのインタビューをおこなった[2]。また英語文献だけでなく、外国語(日本語ドイツ語中国語)の文献の収集も行い、事件の調査に2年間を費やした。ただし、日本国内での取材はおこなわず[3]、日本語やドイツ語の文献の調査は、英訳スタッフの翻訳に依存した。後に、これらの点が批判の対象になった[4]。これに関連し、著者が日本の研究成果を無視しているという批判もあるが、相当数の日本語文献を引用している[5]

また、発見された「ラーベの日記」[6]

を広く世界に紹介したことは、本書の重要な功績であるとされている。これは、南京安全区国際委員会の代表を務めたジョン・ラーベの日記である(参照:ジョン・ラーベ#『日記』)。彼は、日本軍が南京を占領した時期に南京市に滞在していたドイツ人のビジネスマンで、ナチ党員であり、南京安全区国際委員会の代表に就任し、日本軍の虐殺行為に抗議して、南京市民を保護する活動を行った。第二次大戦後、「ラーベの日記」の行方は長らく不明になっていたが、アイリス・チャンは詳細な日記の存在を知り、彼女自身の書くところによれば、その保管者に手紙で連絡を取り、ニューヨークの「南京 大虐殺殉難同胞連合会」の会長である邵子平とともに保管者に出版を奨め、その出版に至ったもので、この「ラーベの日記」を本書『ザ・レイプ・オブ・南京』で紹介した[7]。アメリカの関係者だけでなく、日本の歴史学者の笠原十九司秦郁彦も、この日記が重要な歴史史料であることを認めている[8]。また、やはりナチ党員であった、カルロヴィッツ社の南京駐在員のドイツ人、クリスチャン・クレーガーの日記の存在も紹介している。
反響と批判
アメリカ合衆国

アメリカでは
ワシントン・ポストが紙面で大きく本書を取り上げ、チャンの主張を詳細に紹介している[9]。また、ニューヨーク・タイムズで絶賛され[10]、同紙のベストセラーリストに10週間掲載された。

ニューズウィーク』や3大ネットワークなど、全米の主要なマスメディアも本書を好意的に評価した。他、ハーバード大学教授のウィリアム・C・カービー[11]やハーバード大学フェアバンクスセンターのロス・テリル[12]、ピューリッツァー賞受賞ノンフィクション作家であるリチャード・ローズ[13]らが賞賛している。

批判

なお、批判については、たしかに本書には誤りも多いものの、総じて対象となる事件の本質にかかわるものでなく、何よりも著者であるチャン本人が取材で集めた事件被害の経験者らの証言集・口述集である点に値打ちがあることを無視してはならないという主張がある。

秦郁彦によれば、本書の出版直後には、『ニューズウィーク』『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・タイムズ』が「扇情的な見出しを打って持ち上げた」のに対し、「情熱は買うが歴史書としては不適切」、「中共も同じ事をチベットでやった」などの例外的な批判が少数見受けられた程度であったとされる[要出典]が、その後、日本について詳しいとされる研究者から批判されるようになった。


カリフォルニア大学のジョシュア・A・フォーゲルは「きわもの的書物」と表現で、歴史的事実の誤認があると主張している[14]


スタンフォード大学歴史学教授のデイビッド・M・ケネディは、本書の副題The Forgotten Holocaust of World War II(第二次世界大戦における忘れられたホロコースト)が旧日本軍の行為とホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を同視するものであるが、「南京での出来事が、ユダヤ人大虐殺との比較に値するかどうかはおそらく、別の問題であろう。また、チャン氏が断言するようにそれらの出来事が完全に忘れられてしまったのかどうかも明らかではない」と主張している[15]


ワシントン・アンド・リー大学東アジア史教授ロジャー・B・ジーンズは、本書を「不完全な歴史(half-baked history)」と評した上で、「当時の南京の人口を大きく水増しし」、「東京裁判を無批判に受け入れている」と主張[16]、セントオラフ大学歴史学教授ロバート・エンテンマンは「チャン氏が提示する日本の歴史的な背景はありきたりで単純で、固定観念にとらわれており、しばしば不正確である。」とし、「チャン氏は、なぜ大虐殺が起こったのか正確に説明していない」と主張している[17]


サンフランシスコ・クロニクル記者のチャールズ・バレスは、(1)「チャン氏が日本で調査を行わなかったので、現代の日本が戦争にどのように向き合っているかに関する彼女の記述が、批判を受けやすいものになった」点、(2)「彼女が主に活動家なのか、歴史家なのか」が不明であり、(世界抗日戦争史実維護聯合會を含む)「中国および中国系アメリカ人の団体のチラシ配布の代行者であるように見える」点、(3)また、日本の外務大臣が日本軍による30万人を越える虐殺を認識していた「確固たる証拠」としてチャン氏が引用した電報は、「実はイギリス人の通信員による外電であり、南京だけでなくほかの地域での死者を含むものである。」点などを主張している[18]


ジャーナリストのティモシー・M・ケリーは「不注意による間違い」「まったくのでたらめ」「歴史に関する不正確」「恥知らずの盗用」の4項目に分けて主張しており、デイビッド・バーガミニ著『天皇の陰謀』からの盗用があると主張している[19]。ただし、『天皇の陰謀』はそれ自体が大ヒットし、よく知られた作品で、チャンは先行研究として使っただけだとの受取り方も強い。


当時の斉藤邦彦駐米大使も「不正確で一方的な見解だ」と主張した[20]。山田正行は、斉藤は公刊を前提にした質問には発言内容の激しさや強さを控えていたとし、本人自身が文書に残せない内容のものとの自覚があったのだろうとしている[21]

日本

歴史学者の
秦郁彦は、序章での「日本軍が数週間の間に一般市民約26万人から35万人を虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」とする被害者の人数の記述が不正確だと主張し、さらに、虐殺の例として「生きたまま穴に埋める」「性器を切り取る」「臓器を切り裂く」「火あぶり」「鉄のフックを使って舌の部分で人をつるす」「腰まで人を埋めて猟犬がその体を引き裂くのを見物する」、「女性の臓器を取り出し」「胸を切り取り」「生きたまま壁に釘で打ちつける」、「他の家族が見ているところで、父親に娘の強姦を強要し、息子に母親の強姦を強要する行為もあった」と同書は描写するが[22]、これら「中世の魔女裁判も顔負けのこの劇画的シーンを彼女がどこから仕入れたのか、注を引いてみると、簡単に「著者による生き残りからのインタビュー」としか書いていない」と、その典拠と証言が不確実であると主張している[4]


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