ザ・フー
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この項目では、イギリスのロックバンドについて説明しています。モンゴルのロックバンドについては「ザ・フー (モンゴルのバンド)」をご覧ください。

ザ・フー
2007年のロッテルダム公演
基本情報
別名ザ・ディトゥアーズ
出身地 イングランド ロンドン
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

アリーナ・ロック[1]

アート・ポップ[2]

ハードロック[2]

モッズ[2]

サイケデリア[3]

R&B[2][4]

ロックンロール[2][4]

ロック・オペラ[5]

活動期間

1964年 - 1983年

1985年[注釈 1]

1989年

1990年[注釈 1]

1991年[注釈 1]

1994年[注釈 1]

1996年 -

レーベル



ブランズウィック

リアクション

ポリドール

トラック




デッカ

MCA

ワーナー・ブラザース

ゲフィン


ユニバーサル・リパブリック

公式サイトザ・フー 公式サイト

メンバー

ロジャー・ダルトリー

ピート・タウンゼント


旧メンバー

ジョン・エントウィッスル

キース・ムーン

ダグ・サンダム(英語版)

ケニー・ジョーンズ

1975年のシカゴ公演

ザ・フー(The Who)は、イギリスロックバンドビートルズローリング・ストーンズと並んで、イギリスの3大ロックバンドの一つに挙げられる[4]

1964年にデビュー。ビート・バンドとしてブリティッシュビート・ブームの一端を担い、スモール・フェイセス[注釈 2]と並ぶ2大モッズ・バンドとも称された。アルバム『トミー』(1969年)でロック・オペラを発表。1970年代にはシンセサイザーを導入する[注釈 3]など、その音楽性には、ハードロックサイケデリア[2]に加えてプログレッシヴ・ロックの傾向もあった。

ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第29位[6]
メンバー
現メンバー


ロジャー・ダルトリー(Roger Daltrey CBE、 (1944-03-01) 1944年3月1日(80歳) - )(ボーカルハーモニカ)ライブでは曲によってタンバリンギターも担当。

ピート・タウンゼント(Pete Townshend、 (1945-05-19) 1945年5月19日(78歳) - )(ギター、ボーカル、キーボードシンセサイザー)メイン・ソングライター。

旧メンバー


ジョン・エントウィッスル(John Entwistle、1944年10月9日 - (2002-06-27) 2002年6月27日(57歳没))(ベース、ボーカル、ブラス、キーボード) タウンゼントに次いで曲を提供し、その多くでリード・ボーカルを担当。2002年の全米ツアー初日の前日に急死。

ダグ・サンダム(英語版)(Doug Sandom、1930年2月26日 - (2019-02-27) 2019年2月27日(89歳没))(ドラムス

キース・ムーン(Keith Moon、1946年8月23日 - (1978-09-07) 1978年9月7日(32歳没))(ドラムス)1978年に薬物の過剰摂取で急死。

ケニー・ジョーンズ (Kenney(またはKenny)Jones、 (1948-09-16) 1948年9月16日(75歳) - )(ドラムス)1979年にムーンの後任として加入し、1983年の解散まで在籍[注釈 4]

サポートメンバー
詳細は「:en:List of the Who band members#Touring members」を参照

ジョン “ラビット” バンドリック(英語版)(John "Rabbit" Bundrick、 (1948-11-21) 1948年11月21日(75歳) - )(キーボード、ボーカル)(在籍期間 1979年 - 1981年、1985年 - 2011年) 1979年にムーンの後任としてジョーンズを迎えたのをきっかけに、ザ・フーがツアーリング・メンバーを従えてライヴ活動を行なうようになった時に招聘された。以来[注釈 5]、2011年までツアーに参加。

ザック・スターキー(Zak Starkey、 (1965-09-13) 1965年9月13日(58歳) - )(ドラムス)(在籍期間 1996年 - ) リンゴ・スターの長男。少年時代にはムーンに可愛がられ彼にドラミングを学んだ。1996年にタウンゼントら3人が再結集してプリンス・トラスト(英語版)のコンサートに出演した時に招聘されて以来、ツアーリング・メンバーとして2023年現在も活動中。2004年から2008年まではオアシスのドラマーも兼任していた。

サイモン・タウンゼント(英語版)(Simon Townshend、 (1960-10-10) 1960年10月10日(63歳) - )(ボーカル、ギター)(在籍期間 1996年 - 1997年、2002年 - ) ピート・タウンゼントの実弟。

ピノ・パラディーノ(Pino Palladino、 (1957-10-17) 1957年10月17日(66歳) - )(ベース)(在籍期間 2002年 - ) エントウィッスルの急死直後に始まった2002年の全米ツアーに、タウンゼントの緊急要請で代役を務めて以来、ツアーに参加。

その他

スタジオでのレコーディングにも、ニッキー・ホプキンスをはじめ様々なミュージシャンがゲストに招かれた。メンバーが2人になってからは、それがさらに顕著となっている[注釈 6]
来歴
1961年-1964年

ザ・フーの前身は、ロジャー・ダルトリーが10代の頃に身近な仲間と共に結成したスキッフルバンド、ザ・ディトゥアーズである。1961年夏、ダルトリーの誘いにより中学校時代の後輩だったジョン・エントウィッスルが加入。1962年1月にはBBCラジオのオーディションに応募するが経験不足を理由に不合格となっている[7]。同年夏、前任のリズムギタリストに代わりエントウィッスルのかつてのバンドメイトだったピート・タウンゼントが加入。タウンゼントの加入から間もなく、他のメンバーよりも10歳以上年長(1930年生まれ[8])で妻帯者だったダグ・サンダムがドラマーとして加入する[9]。1964年のメジャー・デビューまでにメンバーは目まぐるしく入れ替わり、1962年の下旬に前任のボーカリストが他のメンバーと衝突し脱退すると、リードギター担当だったダルトリーはボーカルを兼任することになった[10]

当時ダルトリーは板金工、エントウィッスルは税務署職員、サンダムはレンガ職人とそれぞれ本業を持っており、またタウンゼントはイーリング・アート・カレッジの学生であったため、音楽活動はもっぱら夜間か休日に行われた[11]。当初はタウンゼントの母ベティがバンドの仕事を手配していたが、やがてバンドと契約した地元のプロモーターのロバート・ドゥルースに代わられた[12]。また、板金の仕事でしばしば手を負傷していたダルトリーがギタリストからボーカルに転向したため、1963年にタウンゼントがリードギタリストとなった。この頃はダルトリーがバンドの絶対的なリーダーであり、彼の音域でカバーできない曲は演目から外された[13]

ディトゥアーズの当時の主な演奏レパートリーはベンチャーズシャドウズビートルズなどによる最新ヒット曲のカバーやトラッド・ジャズであり[14]、自作曲はなかったが1963年にはタウンゼントが初めて書いた曲が実験的に録音されている。またこの年の秋ごろより、当時のロンドンの音楽の趨勢に影響される形で、レパートリーをヒット曲のカバーからシカゴ・ブルースに変えた[13]。ダルトリーは「(レパートリーを変えた事で)今までのファンを全て失い、それを取り戻すのに半年かかった。でもその時にはファンの数が以前の3倍になっていた」と当時を振り返っている[15]

1964年2月、同名のバンドがいたことが判明し、バンド名の変更を迫られる。いくつかのふざけた名前が候補に挙げられたが、タウンゼントの友人のリチャード・バーンズが提案したザ・フーがダルトリーの「“ザ・フー”に決まりだろ?」の一声で採用された[16]。2月20日のギグより、バンドはザ・フーの名を冠するようになった[17]。それから間もなく、バンドを見出したドアノブ製造業者のヘルムート・ゴードンとマネージメント契約を結ぶ[16]

プロデビューへの光が見えてきた矢先、4月初旬に受けたオーディションでドラムに問題があると評されたことが引き金となり、タウンゼントとダグ・サンダムが衝突し、かねてからバンドの音楽性になじめなかったサンダムはこれを機にバンドを脱退する[18]。後にタウンゼントはサンダムを追い出したことを「人生における最大の後悔の一つ」と語った[19]


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