ザ・ファントム
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Australian Woman's Mirror#2(1938年発行)

ザ・ファントム (The Phantom)は、米国の作家リー・フォーク(英語版)が制作したアメリカ合衆国の冒険コミックストリップのタイトルおよびその主人公。 なお、リー・フォークは「魔術師マンドレイク」Mandrake the Magician (フィル・デヴィスが作画を担当した1934年に新聞連載を始めた冒険漫画)の作者でもある。
概要

テレビ番組や映画も制作されているこの人気作品の主人公は、アフリカのジャングルから来た、コスチュームを着て悪人を成敗する人物である。

このシリーズは1936年2月17日に新聞漫画としてスタートし、1939年5月28日からは日曜版でも掲載されるようになり、現在まで続いている。

原作者は1999年に亡くなったが、現在は トニー・デポール作・ ポール・ライアン画という状態で制作されている。

ただし、それ以前にレイ・ムーア(英語版)、ウィルソン・マッコイ(英語版) 、Bill Lignante、サイ・バリー、ジョージ・オルセン、 キース・ウィリアムズ、フレッド・フレデリクスやグラハム・ノーランたちも制作に携わったことがある。

ザ・ファントムの新作は漫画本としても出版されており、アメリカ合衆国ではムーンストーン・ブックス(英語版)から、スカンジナビア半島およびフィンランドでは Egmontから、オーストラリアではFrew Publicationsから、イタリアではEura Editoriale, インドではEgmont の子会社である Eurobooksからと、世界各地で出版されている。

ファントムは世界初のコスチュームを着た架空の人物ではないが、肌にぴっちりしたコスチュームを着たという点と、瞳孔が描かれていないという点は、後続のスーパーヒーロー作品に影響を与えた[1]
出版
制作

Mandrake the Magicianの成功を受け、新聞向けの配信を行っているキング・フィーチャーズは、フォークに新シリーズの制作を行わないかと持ちかけた。当初フォークはアーサー王円卓の騎士を題材とした新聞漫画を制作しようと考えていた[2] 。だが、キング・フィーチャーズにその案を却下されたため、フォークは衣装を着た謎のクライムファイター(=犯罪者退治専門のヒーロー)「ザ・ファントム」のアイデアを出した。そのアイデアは採用され、まずは数か月ストーリーを練ってからパイロット版として2週間連載を行うことにした。

フォークは子供のころからアーサー王やエル・シッドといった伝説や神話だけでなく、怪傑ゾロターザン、『ジャングル・ブック』のモーグリといった近現代のキャラクターにインスパイアを受け、「夜は正体不明のクライムファイター"ザ・ファントム"として活躍する裕福なプレイボーイ、ジミー・ウェイルズ」というファントムの"表向きの顔"を作った。ファントムの最初の作品である The Singh Brotherhoodの途中、ウェルズがファントムであるということが明かされる前に、フォークは舞台をジャングルに変え、ファントムが謎めいた不滅の存在であるかのように描いた[3]。このとき、Phantom DetectiveやPhantom of the Opera(『オペラ座の怪人』)のように、" Phantom "のつくキャラクターが多すぎたため、フォークはザ・ファントムを"The Gray Ghost" を呼ぼうと考えていた。(なお、この"The Gray Ghost" という名前はバットマンの二つ名の一つとなり、 Phantom 2040の第一話でもバットマンのことは言及されている)だが、フォークはThe Gray Ghostの名を気に入らず、最終的にザ・ファントムの名前で落ち着いた[4]

アメリカ合衆国のA&Eが製作したケーブルテレビ向けのドキュメンタリー番組 The Phantom: Comic Strip Crusaderの中で[5]、マスクをつけているときに瞳孔を描かない、というアイデアはギリシャ胸像を参考にしたとフォークは語っている。瞳孔の描かれていない古代ギリシャの胸像は、超人的で荘厳な印象を与えたとフォークは語っている。また、2005年に出版されたen:Comic Book Marketplaceとのインタビューで[6]、ザ・ファントムのぴっちりしたタイツスーツは映画や舞台で描かれてきたロビン・フッドを参考にしたと語っている。
新聞連載

新聞漫画としての『ザ・ファントム』は1936年2月17日に、 The Singh Brotherhoodという副題がつけられたうえで連載が開始された[7]。フォークがストーリーを考え、最初は作画も担当していたが、2週間後、フォークがストーリーを手掛けたMandrake the Magician で作画を担当したフィル・デイヴィス(英語版)の助手であるレイ・ムーア(英語版)が作画を担当するようになった。なお、日曜版への連載は1939年5月28日から開始された[8]

第2次世界大戦中、フォークは戦争情報局に赴き、外国語ラジオ部の主任となった。また、ムーアも戦場に赴き、漫画はムーアの助手であるウィルソン・マッコイ(英語版)に一時託された。ムーアは帰国後、1949年まで作画を担当し、マッコイが彼の後を継いだ[9]。マッコイが作画を手掛けていたころ、この漫画は世界中の何千もの新聞に掲載され、第二次世界大戦中、ナチスの占領下にあったノルウェーにも船で密輸され、レジスタンスの間でPhantomという単語が合言葉として使用されたほど人気を誇っていた[10]

1961年にマッコイが急逝し、カーマイン・インファンティーノ(英語版)と Bill Lignante (なお、 Lignanteはのちに漫画本向けのファントムの作品をいくつか手掛けている) が作画を務め、サイ・バリー(英語版)が二人にとってかわった[3]。バリーが作画を務めて間もないころ、彼とフォークは作品の設定を現代に合わせ、今日のファントムの見た目の基礎となる部分を作った。このとき、作中に登場するベンガラという国は民主化し、Lamanda Luaga大統領も登場した。バリーは1994年に引退するまで30年にわたり連載を続け、掲載回数は合計で11,000以上に上った[11]

バリーの長年の助手であるGeorge Olesenはペンシラーとして制作チームに残り、平日版の制作チームにはキース・ウィリアムス(英語版)がインカーとして参加した。また、日曜版のインカーはen:Eric Doescher が務め、1995年からはen:Fred Fredericksが担当するようになった。

フォークは『ザ・ファントム』とMandrake the Magicianのライターを務めたが、1999年3月13日に死去した。彼が手掛けた最後の平日版掲載作は Terror at the Operaで、日曜版は The Kidnappersだった[12]。いずれの作品も、入院中のフォークが酸素マスクを文字通り取り払って、物語を口述し、それを妻のエリザベス・フォークが書き留めたものである[12]。フォークの没後、King Features Syndicateはスウェーデン版の出版を行っている Egmontに協力を仰いだ。この出版社はライセンスを受けたファントムの漫画本の出版を行い、独自のファントムの漫画のストーリーを基にした新聞漫画の掲載を新聞社に行わせている。スウェーデン版ファントムであるFantomen のライターであるトニー・デ・ポール と Claes Reimerthiが亡きフォークの跡を継いで、アメリカの『ザ・ファントム』の新聞漫画のライターになり、トニー・デ・ポールは平日版をReimerthiは日曜版をそれぞれ担当している。デ・ポールは、単独でストーリーを考案することになっており、いくつかの新聞掲載作のストーリーは Fantomenの雑誌が元になっている[3]

2000年、OlesenとFredericksが日曜版から降板し、グラハム・ノーラン(英語版)が二人の跡を継いだ。ノーランは、過去に Fantomenの表紙を3回手がけたことがある。数年後、 Olesenとインカーのキース・ウィリアムスが平日版から降板した。二人の降板後、子どもの頃から『ザ・ファントム』のファンであり、Fantomenの漫画雑誌版のストーリーを手掛けたこともあったポール・ライアン(英語版)が2005年から二人の跡を継ぎ、2007年からノーランの後をついで日曜版の作画も担当することになった[13] 。2011年7月31日から日曜版の作画がEduardo Barretoに変わったが、連載から数か月で Barretoが亡くなり、ライアンが一時代理を務めた。2012年1月15日掲載分はBarretoへの追悼のページになっている。翌週分もライアンが手掛けたが、その後は Terry Beatty が作画を担当している。

現在でも、ザ・ファントムの連載は続いており、数少ない、今日まで連載が続いている冒険ものの新聞漫画となっている。
アメリカ合衆国でのファントムの漫画単行本

アメリカ合衆国において、『ザ・ファントム』は何年にもわたって出版社を変えながら出版されてきた。1940年代、この新聞漫画の単行本はデビッド・マッケイ・パブリケーション(英語版)のエース・コミック(英語版)というレーベルから出版された。1950年代に入ってからはハーベイ・コミック(英語版)がファントムの単行本を発行し、1962年からはゴールドキー・コミックがその後を継いだが、1966年からはキング・コミックに出版元が変更された。1969年から1977年までチャールトン・コミック(英語版)が全73話分を出版した。

この時代にファントムの作画を務めた漫画家にen:Bill Lignante、ドン・ニュートン(英語版)、ジム・アパロ(英語版)、Pat Boyetteらがいる[14]

1988年から1990年にかけてDCコミックスはファントムの漫画を出してきた。まず1988年5月から8月にかけて、ピーター・デイビッド脚本/ジョー・オーランド(英語版)&Dennis Janke作画の組み合わせでミニシリーズが発刊された。そのあと、1989年3月から90年3月までの1年間、マーク・ヴァーヘイデン (脚本)、Luke McDonnell(作画)の二人によるファントムのミニシリーズが全13話分発行された[15] 。このバージョンのファントムは人種差別や有毒物質の不法投棄、飢餓や今日の海賊に立ち向かっていった。ライターであるヴァーヘイデンは、漫画本の売り上げの下降と著作権上のトラブルを理由に打ち切られたと語っている[16] 。なお、このミニシリーズの最終回のラストはファントムとダイアナが結ばれるという場面になっている。

1987年、マーベル・コミックは、スタン・リーが手掛けたテレビアニメen:Defenders of the Earthを題材とした全4話のミニシリーズを発行した。1995年2月から4月にかけて出版されたミニシリーズ The Phantom: The Ghost Who Walks(デヴィッド・デブリース脚本、Glenn Lumsden作画)では、ハイテク装備で敵に立ち向かう22代目ファントムが登場した。 同年5月から8月にかけて発行された全4話のミニシリーズはテレビアニメ en:Phantom 2040が基になっており、スパイダーマンの生みの親の一人として有名なスティーブ・ディッコがペンシラーを務めた[17]


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