ザ・バトル・オブ・チャイナ
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ザ・バトル・オブ・チャイナ
The Battle of China
監督
フランク・キャプラ
アナトール・リトヴァク
脚本ジュリアス・J・エプスタイン
フィリップ・G・エプスタイン
製作アナトール・リトヴァク
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影ロバート・フラハティ
編集ウィリアム・ホーンベック
配給 War Activities Committee
of the Motion Pictures Industry
公開 1944年
上映時間65分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
前作ザ・バトル・オブ・ロシア
次作ウォー・カムズ・トゥー・アメリカ
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『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(The Battle of China, 「中国の戦闘」の意)は、フランク・キャプラが監督したプロパガンダ映画我々はなぜ戦うのか』シリーズの6作目である。1944年(昭和19年)にアメリカで上映された。

戦争当事国の中華民国をはじめ、欧米や中華人民共和国などではニュースや報道番組において、現在でも日本軍による残虐行為の記録フィルムや記録写真として、これらの映画の一部が頻繁に使用されている。目次

1 『ザ・バトル・オブ・チャイナ』

1.1 内容

1.2 問題点

1.3 第二次世界大戦終結後における展開

1.3.1 中華民国

1.3.2 日本

1.3.3 その他


1.4 劇中で使用されている映像について

1.4.1 映像の二次使用



2 脚注

3 参考文献

4 関連事項

5 外部リンク

5.1 映画

5.2 批評


『ザ・バトル・オブ・チャイナ』[ソースを編集]

『ザ・バトル・オブ・チャイナ』は、このシリーズの6作目にあたり、シリーズ7作中で唯一、アジアにおける戦闘を題材にしたものである。1944年にアメリカで、一般に劇場公開された。数人の評論家から問題点(内容に誇張が多い・中国人自身の問題に全く触れていない)を指摘されたことにより、一時的に回収されたが再度上映され、戦争終結までに約400万人が観ることになった[1]スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・ケネディは南京大虐殺は反日プロパガンダの中核となり、この映画はその顕著な一例であるとしている[2]
内容[ソースを編集]

本編の内容は、南京陥落後、「市民自らが掘らされた穴に落とされ、折り重なるように生き埋めにされるシーン」や、「殺された息子にすがり付き、泣き叫ぶ年老いた父親の姿」等が日本軍の残虐行為として編集されている。
問題点[ソースを編集]

本作では「日本軍による銃殺刑のシーン」は、1927年中国国民党が行った中国共産党員に対する虐殺の映像、1928年製作のソ連映画『上海ドキュメント(Шанхайский документ)』の映像が使われている。また、廃墟となった上海南駅(南京ではない)で幼児が泣くシーンでは王小亭が撮影したフィルムが使用されている(詳細については後述)ことなどが判明している。
第二次世界大戦終結後における展開[ソースを編集]
中華民国[ソースを編集]

中華民国では『ザ・バトル・オブ・チャイナ』のフィルムを独自に編集・追加し、1950年(昭和25年)国共内戦後に『中国之怒吼』と題する映画を製作した。

日本[ソースを編集]

第二次世界大戦当時の1943年(昭和18年)1月から翌年1月まで南京の支那派遣軍総司令部に勤務した三笠宮崇仁親王は、中国における日本軍の残虐行為に憂慮し、兄である昭和天皇と一緒に中国側が制作した映画を見たと回想しているが、この映画と、『ザ・バトル・オブ・チャイナ』との間に何らかの関連性がある可能性がある[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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