ザ・デストロイヤー
2010年6月
プロフィール
リングネームザ・デストロイヤー
ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー
ディック "ザ・デストロイヤー" ベイヤー
ディック・ベイヤー
ドクターX
本名リチャード・ジョン・ベイヤー
ニックネーム白覆面の魔王
身長178cm - 183cm
体重110kg - 120kg
誕生日 (1930-07-11) 1930年7月11日[1]
死亡日 (2019-03-07) 2019年3月7日(88歳没)
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州
エリー郡バッファロー
スポーツ歴アメリカンフットボール
レスリング
トレーナーディック・ハットン
デビュー1954年
引退1993年
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ディック "ザ・デストロイヤー" ベイヤー(Dick "The Destroyer" Beyer、本名:Richard John Beyer、1930年7月11日 - 2019年3月7日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州バッファロー出身のドイツ系アメリカ人。
日本では「白覆面の魔王」の異名を持つ覆面レスラーとして、足4の字固めを武器に力道山やジャイアント馬場と対戦。テレビタレントとしても活躍した[2]。息子のカート・ベイヤー、娘婿のダニー・スパイビーもプロレスラーである。 シラキュース大学教育学部卒業、シラキュース大学大学院修士課程修了。在学時からアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後も母校のコーチを務めていたが、レスリングでも実績を残していたため、1954年にアメリカのプロレス団体からのオファーを受けてプロレスラーとしての活動も並行して始める[2]。 デビュー後から1960年代初頭にかけては素顔の「ディック・ベイヤー(Dick Beyer)」として、地元のバッファローやクリーブランドなど、後にNWFの拠点となる五大湖エリアを主戦場にベビーフェイスのポジションで活動[3]。ダン・ミラー、フレッド・アトキンス、ジョン・トロス、アンジェロ・ポッフォ、ワルドー・フォン・エリックらと対戦し、ボボ・ブラジルのパートナーにも起用された[4]。 1962年、白地に赤や青の縁取りを付けたマスクを被り、ヒールの覆面レスラー「ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー(The Intelligent Sensational Destroyer)」に変身[3]。ロサンゼルスのWWAにて、同年7月27日にフレッド・ブラッシーを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得[5]、覆面レスラー初の世界チャンピオンとなった[2]。その後、1964年にも7月22日にディック・ザ・ブルーザー、11月13日にカウボーイ・ボブ・エリスから同王座を奪取し、通算3回にわたってWWA世界ヘビー級王者となっている[5]。WWAではハードボイルド・ハガティをパートナーに、ブラッシー&ミスター・モトなどのチームを破り世界タッグ王座も2回獲得した[6]。 NWA圏では1964年上期、オレゴンおよびワシントン州のパシフィック・ノースウエスト地区にてマッドドッグ・バションやニック・ボックウィンクルと抗争[7]。サンフランシスコのアメリカン・レスリング・アライアンスでは義兄弟ビリー・レッド・ライオンとのコンビで活動し、1965年にレイ・スティーブンス&パット・パターソンと世界タッグ王座を争った[8]。テキサスでは1966年2月8日、ダラスにてゴールデン・テラー(ミスター・アトミック)と組み、当時アメリカ修行中だったカンジ・イノキ&デューク・ケオムカから東テキサス版のNWA世界タッグ王座を奪取している[9]。ドクターX(1969年) 1968年には、かつての全米3大メジャー団体の1つであるAWAで黒覆面の「ドクターX(Dr. X)」を名乗り[3]、8月17日にバーン・ガニアを倒し第23代AWA世界ヘビー級チャンピオンとなった[10]。8月31日にガニアにタイトルを奪還され短命王者となるも、戴冠中はザ・クラッシャー、マイティ・イゴール・ボディック、ビル・ワットらの挑戦を退けている[11]。 NWA圏ではザ・デストロイヤーに戻り、ロサンゼルスでは1969年8月15日、後に日本でも幾多の好勝負を残すこととなるミル・マスカラスのNWAアメリカス・ヘビー級王座(かつて自身が戴冠していたWWA世界ヘビー級王座の後継タイトル)に挑戦[12]。1970年9月30日にはハワイにてペドロ・モラレスからNWA北米ヘビー級王座を奪取[13]、12月16日にビル・ロビンソンに敗れるまで、ザ・シークらを相手に防衛を続けた[14]。
来歴
デビュー
北米での活躍