ザ・ダムド
[Wikipedia|▼Menu]

ダムド
The Damned
(2008年)
基本情報
出身地 イングランド
ロンドン
ジャンルパンク・ロックニュー・ウェイヴハードコア・パンクポストパンク、ゴシック・パンク
活動期間1976年 - 現在
公式サイト ⇒オフィシャルサイト (英語)

メンバーデイヴ・ヴァニアン
キャプテン・センシブル
モンティー・オキシー・モロン
ポール・グレイ
ラット・スケイビーズ

旧メンバー以下を参照

ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイングランド出身のパンク・ロックバンド

日本では、セックス・ピストルズザ・クラッシュと並んで、ロンドン・パンクにおける三大パンク・バンドの1つに数えられている。
概要

1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ロックムーブメントの中にあって、彼らは音楽主義的で、ザ・クラッシュに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込んでいない。しかし、当時のシーンの中で、そのスピード感と激しさと轟音を伴った強烈なビートは、後に登場するハードコア・パンクにも大きな影響を与えた。

ブライアン・ジェイムスは脱退したが現在もデイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続してコンスタントにライブを行っており、2018年4月には新作も発表している。2021年7月にはオリジナルラインナップでのライブが予定されていたが、引き続きコロナ禍の影響で、2022年2月頃に変更された。が、10月下旬、11月上旬に再変更。2023年11月にはラット・スキャビーズの復帰が発表された。
来歴デイヴ・ヴァニアン(Vo) 2013年キャプテン・センシブル(G) 2015年
初期

1975年、バンド関係の知り合いであったレイモンド・バーンズ(後のキャプテン・センシブル)と[1]、クリス・ミラー(後のラット・スケイビーズ)がバンドを組むことになった。そこに、ラットが加入直前まで話が進んでいたロンドンSSというパンクバンドのギタリスト・ブライアン・ジェイムスが参加し、3人でSubterraneansを結成した。これがダムドの原型と言える。

Subterraneansは間もなく自然消滅してしまうが、ここでセックス・ピストルズの仕掛人として有名なマルコム・マクラーレンが関係してくる。彼の新しいパンクバンドのプロジェクトに、キャプテンとラットを引き込んだのだ。ボーカルには、後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドを据え、Masters of the Backsideという名での活動を開始するが、このバンドもまた、本格的な軌道に乗ることなく消滅する。

そこでキャプテンとラットの2人はブライアンを呼び戻し、マルコムがMasters of the Backsideに紹介したボーカル候補の一人であった、デイヴィッド・レッツ(後のデイヴ・ヴァニアン)との4人で新しいバンドを結成した。ダムドの始まりである。

1976年、イギリスでパンクムーヴメントが吹き荒れる中、セックス・ピストルズのサポートを務めながら[2]ロンドンで行われた「100 Club PUNK Festival」などに出演、9月にスティッフ・レコードと契約を交わし、10月にロンドンパンクとして初のシングルとなる「ニュー・ローズ」をリリース(B面はビートルズヘルプ」のカバー)。そして、翌1977年には、これもまた、ロンドンパンク初のアルバムである『Damned, Damned, Damned』(邦題・地獄に堕ちた野郎ども)をニック・ロウプロデュースのもとで発表した。

同年にギタリスト、ルー・エドマンズが加入し、11月には2ndアルバムとなる『ミュージック・フォー・プレジャー』を発表。プロデューサーはピンク・フロイドニック・メイスン。しかし、ツアー途中でラットが脱退。後にカルチャークラブのドラマーになるジョン・モスが一時的に加入するものの、メンバー間の意見の相違(ブライアンが脱退を宣言etc)が主因となり1978年4月のライブを最後にダムドは一旦解散に至る。
再結成後

1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと一緒にMOTORHEADレミー・キルミスターをベースに加え一時的に「DOOMED」もしくは「Motordamn」名義で活動。その後、元CHELSEAのヘンリー・バドゥスキーを経て、新たなベースにアルジー・ワードを加えて本格的にダムドは再結成した。つまり結局は、ブライアンとワードが入れ替わり、キャプテンがギターを担当するようになっただけではあるが、今までの楽曲のソング・ライティングの大部分を担っていたブライアンが抜けたことで、結果的にバンドの音楽性は転換し、以前よりもポップ色を強めることになった。

1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。

1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。

1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、翌年1983年2月にポールが脱退(後にUFOに加入)ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。

1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef