ダムド
The Damned
(2008年)
基本情報
出身地 イングランド
ロンドン
ジャンルパンク・ロック、ニュー・ウェイヴ、ハードコア・パンク、ポストパンク、ゴシック・パンク
ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイングランド出身のパンク・ロック・バンド。
日本では、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並んで、ロンドン・パンクにおける三大パンク・バンドの1つに数えられている。 1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ロックムーブメントの中にあって、彼らは音楽主義的で、ザ・クラッシュに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込んでいない。しかし、当時のシーンの中で、そのスピード感と激しさと轟音を伴った強烈なビートは、後に登場するハードコア・パンクにも大きな影響を与えた。 ブライアン・ジェイムスは脱退したが現在もデイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続してコンスタントにライブを行っており、2018年4月には新作も発表している。2021年7月にはオリジナルラインナップでのライブが予定されていたが、引き続きコロナ禍の影響で、2022年2月頃に変更された。が、10月下旬、11月上旬に再変更。2023年11月にはラット・スキャビーズの復帰が発表された。 1975年、バンド関係の知り合いであったレイモンド・バーンズ(後のキャプテン・センシブル)と[1]、クリス・ミラー(後のラット・スケイビーズ)がバンドを組むことになった。そこに、ラットが加入直前まで話が進んでいたロンドンSSというパンクバンドのギタリスト・ブライアン・ジェイムスが参加し、3人でSubterraneansを結成した。これがダムドの原型と言える。 Subterraneansは間もなく自然消滅してしまうが、ここでセックス・ピストルズの仕掛人として有名なマルコム・マクラーレンが関係してくる。彼の新しいパンクバンドのプロジェクトに、キャプテンとラットを引き込んだのだ。ボーカルには、後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドを据え、Masters of the Backside そこでキャプテンとラットの2人はブライアンを呼び戻し、マルコムがMasters of the Backsideに紹介したボーカル候補の一人であった、デイヴィッド・レッツ(後のデイヴ・ヴァニアン)との4人で新しいバンドを結成した。ダムドの始まりである。 1976年、イギリスでパンクムーヴメントが吹き荒れる中、セックス・ピストルズのサポートを務めながら[2]、ロンドンで行われた「100 Club PUNK Festival」などに出演、9月にスティッフ・レコードと契約を交わし、10月にロンドンパンクとして初のシングルとなる「ニュー・ローズ」をリリース(B面はビートルズ「ヘルプ」のカバー)。そして、翌1977年には、これもまた、ロンドンパンク初のアルバムである『Damned, Damned, Damned』(邦題・地獄に堕ちた野郎ども)をニック・ロウプロデュースのもとで発表した。 同年にギタリスト、ルー・エドマンズが加入し、11月には2ndアルバムとなる『ミュージック・フォー・プレジャー』を発表。プロデューサーはピンク・フロイドのニック・メイスン。しかし、ツアー途中でラットが脱退。後にカルチャークラブのドラマーになるジョン・モスが一時的に加入するものの、メンバー間の意見の相違(ブライアンが脱退を宣言etc)が主因となり1978年4月のライブを最後にダムドは一旦解散に至る。 1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと一緒にMOTORHEADのレミー・キルミスターをベースに加え一時的に「DOOMED」もしくは「Motordamn」名義で活動。その後、元CHELSEA 1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。 1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。 1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、翌年1983年2月にポールが脱退(後にUFOに加入)ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。 1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。
概要
来歴デイヴ・ヴァニアン(Vo) 2013年キャプテン・センシブル(G) 2015年
初期
再結成後