ザ・シャーラタンズ
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この項目では、イギリスのバンドについて説明しています。アメリカの同名バンドについては「ザ・シャーラタンズ (U.S.バンド)」をご覧ください。

The Charlatans

基本情報
出身地 イングランド ウエスト・ミッドランズ
ジャンルオルタナティヴ・ロック
マッドチェスター
ブリットポップ
インディー・ロック
活動期間1988年 -
レーベルDead Dead Good Records(自主レベール)
ベガーズ・バンケット・レコード
ユニバーサル
サンクチュアリ・レコード
BMG JAPAN(日本)
クッキング・ヴァイナル
公式サイト ⇒thecharlatans.net

メンバーマーティン・ブラント
ティム・バージェス
マーク・コリンズ
トニー・ロジャース

旧メンバージョン・ブルックス
ロブ・コリンズ
ジョン・ベイカー
バズ・ケトレー

ザ・シャーラタンズ(The Charlatans)は、1990年にレコードデビューしたイギリスのロックバンドである。米国の同名バンドと区別させるため、米国で活動する際は「The Charlatans UK」と表記される。
目次

1 歴史

1.1 結成

1.2 デビュー?新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)

1.3 セカンドアルバム?メンバーの投獄(1992年 - 1993年)

1.4 サードアルバム?2度目の全英チャート第1位獲得(1994年 - 1995年)

1.5 メンバーの死?メジャーレーベルへ(1996年 - 1998年)

1.6 新体制後初のアルバム?DVD作品のリリース(1999年 - 2002年)

1.7 ソロ活動?通算2枚目のベストアルバム(2003年 - 2006年)

1.8 楽曲の無料ダウンロード(2007年 -)


2 バンドメンバー

2.1 現メンバー

2.2 過去のメンバー


3 ディスコグラフィー

3.1 スタジオアルバム


4 来日公演

5 バージェスのシャーラタンズ以外の活動

6 シャーラタンズ・トリビア

7 脚注

8 外部リンク

歴史
結成

1988年英国ウエスト・ミッドランズにて結成。以前にThe Gift Horsesというバンドで既に一緒に音楽活動をしていたマーティン・ブラント、ジョン・ブルックスの2人がロブ・コリンズらを招き入れ、バンドメンバーが一時的に固まる。結成当初のメンバーは、ブラント(ベース)、ブルックス(ドラムス)、ロブ(キーボード)、バズ・ケトレー(ボーカルギター)の4人。バンド名の候補は、ブラントが提案した「The Law Lords」とケトレーが提案した「The Charlatans」と2つあったが、貨幣の表裏で決めるコイン投げをして、ケトレーが提案した名称に決まる。結成直後、当時はまだブレイク前だったストーン・ローゼズなどの前座を務める。1989年にケトレーが脱退し、現在のボーカル、ティム・バージェスと旧ギター、ジョン・ベイカーが加入。バージェスの加入後、英国ノースウィッチに拠点を移し、レコードデビューに向けて活動を本格化させる。同年秋頃に3曲入りデモテープ(「インディアン・ロープ」「ホワイト・シャツ」「ユー・キャン・トーク・トゥ・ミー」のデモバージョンを収録)を制作後、ファーストシングルのリリースに至る。マーク・コリンズ(ギター)は1991年、トニー・ロジャース(キーボード)は1997年にそれぞれ加入している(加入した経緯は順を追って説明する)。
デビュー?新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)

1990年2月10日、自主レーベル「Dead Dead Good」からリリースしたファーストシングル「インディアン・ロープ」でレコードデビュー。英インディーズチャートの1位となり、自主レーベルながらも全英チャートで89位にランクインした。当時のマンチェスターブームの火付け役であったザ・ストーン・ローゼズイアン・ブラウンを思わせるバージェスのボーカルスタイルとルックス、そしてすでに商業的成功を収めていたもう1つのマンチェスターバンド、インスパイラル・カーペッツを連想させるハモンドオルガンのサウンドから、バンドにオリジナリティーが無いなどと一部のプレスから否定的な批評を受ける。しかし、ルックスと楽曲の良さ、そして加熱していたマンチェスターブームが後押しし、インディーズのファン層を越え、一般レベルの認知度・ファン層を獲得。当時のマンチェスターブームでは商業的に一番成功したバンドと言われるようになる。

シングル1枚をリリースしただけで、ロンドンにある中堅バンド向けライブ会場の「Town & Country Club(現London Forum)」をソールドアウトにし業界関係者を驚かせるなど、デビュー当時の注目度はかなり高かったとみられる。ファーストシングルの後、インディーズレーベルの「Situation Two」(ベガーズ・バンケット傘下)と契約し、1990年5月14日にセカンドシングル「ジ・オンリー・ワン・アイ・ノウ」をリリース。ダンサブルなビートにパーカッシブなハモンドオルガンが全面に打ち出された同曲は、全英チャートで最高位9位にランクインし、マンチェスターサウンドを代表する曲となる。同年9月10日にサードシングル「ゼン」(全英最高位12位)をリリース後、10月8日にファーストアルバム『サム・フレンドリー』を発表。プロデューサージョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーレコーディング・エンジニアとして知られているクリス・ナグル。同アルバムは、インディーズチャート、全英チャートとも第1位を獲得し、インディー・バンドとしては破格の成功を収めた。

ファーストアルバムのリリースに合わせ全英ツアーを行った後、翌年1991年2月から3月にかけて、15カ所16公演の全米ツアーを行った。米国では当時、カレッジチャート「CMJ」で『サム・フレンドリー』が13週間連続で第1位になるなど、バンドへの注目度が高かったため、1公演を除きすべてがソールドアウトとなる盛況ぶりだった(ただし、全米ビルボードチャートでのランクインは73位止まり)。このツアーのライブは、後にファンクラブ限定でリリースされた「Isolation 21.2.91」(シカゴ公演を収録)で聴ける。また、全米ツアーの最中に英国で4thシングル「オーヴァー・ライジング」(全英15位)をリリース。ファーストアルバムとは違い、ギターを全面に打ち出した曲で、それまでの作品よりもロック色が強くなった作品と言える。B面に「ハプン・トゥ・ダイ」という曲があり、こちらの方がポップな曲調でA面向けの曲だったが、当時湾岸戦争が勃発し、曲のタイトル、サビの部分(Happen to Die = 偶然に死ぬ)がラジオテレビで放送するのに不向きであると判断されたため、急遽「オーヴァー・ライジング」がA面になったという逸話がある。そして、同年4月には初の来日公演を行った。クラブチッタ川崎で2日間行われた東京公演では、会場内を仕切る鉄柵が破損するほどの超満員を記録した。


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