ザ・ゲーム_(ラッパー)
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The Game
The Game 2016年
基本情報
出生名Jayceon Terrell Taylor
生誕 (1979-11-29) 1979年11月29日(44歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州コンプトン
ジャンル

Hip hop

gangsta rap

West Coast hip hop

職業

コーラス歌手

ソングライター

音楽プロデューサー

俳優

担当楽器ヴォーカル
活動期間2002年 -
レーベル

Prolific

Blood Money

E1

Aftermath

DGC

Geffen

G-Unit

Interscope

Get Low

The Black Wall Street

共同作業者

G-Unit

50 Cent

Chris Brown

Dr. Dre

Jeremih

JT the Bigga Figga

Kanye West

Lil Wayne

Pharrell

Stat Quo

Travis Barker


子供3人
公式サイト ⇒comptongame.com

ゲーム(Game、The Game、本名: Jayceon Terrell Taylor、1979年11月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトン出身のコーラス歌手、俳優である。身長193cm
バイオグラフィーゲームのロゴ

ゲームはロサンゼルスで生まれた。育ったのは、ギャンググループであるクリップスのテリトリーとして知られている、カリフォルニア州コンプトンのサンタナ・ブロックという地域だが、成長してからは対立するグループのブラッズのメンバーとなった。ちなみに、ゲームというニックネームは祖母が名付けた。5歳のころに姉に対する暴行で父が起訴され、それがきっかけでカリフォルニアのカーソンで、8年間里親の家族と生活、13歳の時に母と復縁した。コンプトン高校を卒業後、ワシントン州立大学にバスケットボールの奨学金で入学。そこでドラッグ・ディーラーでひと儲け考えたが、ドラッグの取引に失敗し2001年拳銃で5ヶ所撃たれ、3日間昏睡状態になった。その病床でラッパーとして成功する為にいろいろなアルバムを聴き漁る。

ベイエリア大物プロデューサー、JT・ザ・ビガ・フィガが2002年LAで行われたライブを見て驚き自身のレーベル、ゲット・ロウ・レコーズ(Get Low Recordz)に招き入れる。アップ・カマーの紹介でドクター・ドレーと出会いアフターマス(Aftermath Entertainment)と契約、その頃に50セントと出会い、ドレーと50セントをエグゼクティブ・プロデューサーに迎えたデビューアルバム『The Documentary』をリリース(当初はN.W.A Vol.1と言うタイトルにするつもりであった)。大ヒットし、収録曲の1つである『Hate It or Love It』が、グラミー賞において2部門にノミネートされた。

2006年に50セントとの確執からアフターマスを離脱し、ゲフィンに移籍。2006年11月14日、2ndアルバムの『Doctor's Advocate』をリリース。ドクター・ドレーのことに関して、「相変わらず尊敬しているし、仲が険悪になっているわけではない」と本人は語っており、タイトルも「ドクター(ドレー)の支持者」となっているが、2ndアルバムにドレーのプロデュース曲は収録されていない。しかし、彼が尊敬するナズの『Hustlers featuring The Game and Marsha Ambrosius』はドレーがプロデュースしている。

2008年8月26日、自身にとっての3枚目のアルバム『LAX』リリースした。『LAX』を最後にラッパーとして引退すると宣言していたが、後日ライブにて4枚目のアルバムを制作中であると明かした。ライブでのThe Game(2011年)

2011年8月23日、ファレル・ウィリアムスをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、4枚目のアルバム『The R.E.D. Album』をリリースした。


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