ザ・キュアー
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ザ・キュアー
シンガポールでのライブの様子(2007年8月1日)。左からポール・トンプソン、ジェイソン・クーパー(後方)、ロバート・スミス、サイモン・ギャラップ。
基本情報
原語名The Cure
出身地 イングランド クローリー
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

ゴシック・ロック[1][2][3][4]

ポスト・パンク[3][4]

ニュー・ウェイヴ[3][5]

オルタナティヴ・ロック[3][6]

活動期間1978年 -
レーベル

フィクション

シュアトーン

ゲフィン

ポリドール

ハンザ

エレクトラ

アサイラム

サイアー

共同作業者

マリス

イージー・キュアー

ザ・グローヴ

公式サイト ⇒www.thecure.com

メンバー

ロバート・スミス

サイモン・ギャラップ

ロジャー・オドネル

ペリー・バモンテ

ジェイソン・クーパー

リーヴス・ガブレルス


旧メンバー

ローレンス・トルハースト

マイケル・デンプシー

マシュー・ハートリー

フィル・ソーナリー

アンディ・アンダーソン(英語版)

ボリス・ウィリアムス

ポール・トンプソン

ザ・キュアー(The Cure)は、1978年に結成されたイングランドクローリー出身のロックバンド
歴史

1978年、前身バンドとなるイージー・キュアーを母体として、ロバート・スミス、マイケル・デンプシー、ローレンス・トルハーストのスリーピース・バンドを結成。翌1979年にシングル『Killing An Arab』[注釈 1]フィクション・レコードよりデビュー。
第1期 (1978年-1979年)

ポストパンク期にリリースされたデビュー・アルバム『スリー・イマジナリー・ボーイズ』は、シンプルながらもクールで捻くれたギターサウンドが特徴的で、記号化されたスリーヴ・デザインと相まって、すでに独自の世界観を築き上げていた。また、ロバートはスージー・アンド・ザ・バンシーズの全英ツアーのサポート・ギタリストとしてステージに上がったりもした。
第2期 (1980年-1982年)

この時期のキュアーは、無駄な音を排除した、研ぎ澄まされたサウンドを追求していた。

マイケルに代わり、サイモン・ギャラップとマシュー・ハートリーの2人を加えて作られた2作目のアルバム『セブンティーン・セコンズ』は、前作にもあったミニマル要素を発展させた内容で、初めて全英トップ20入りした「A Forest」やライヴでのファンの合唱でお馴染みの「Play For Today」が収録されている。

続いて制作された3作目アルバム『フェイス (信仰)』の、タイトル曲はロバートの宗教観を歌ったものであるという。

だが、サウンドと同様にバンド内の緊張感も次第に強まって行き、それは4作目のアルバム『ポルノグラフィー』で爆発する。ロバートの死に対するオブセッションと行き場のない怒りを反映した本作にて、リズムマシンとシンセサイザーを大胆に導入し、ヘヴィーでダークな極彩色のサイケデリック・サウンドへと変貌を遂げた。そして極度の緊張の中で制作されたためにメンバー間の仲は最悪なものとなり、ツアー中にロバートとサイモンは大喧嘩をして、サイモンはバンドを去り、ロバートは活動の休止を決意した。

日本でのデビュー作はこの『ポルノグラフィー』であり、各楽曲に付けられた奇抜な邦題[注釈 2]は当時のキュアーのパブリック・イメージを物語っている。
第3期 (1983年-1984年)

この時期、ロバートはスージー・アンド・ザ・バンシーズとキュアーの活動を掛け持ちしており、度々解散をちらつかせていたが、結局キュアーをとった。

スージー・アンド・ザ・バンシーズでは、ロバートはパーマネントなギタリストとしてアルバム(『ハイエナ (Hyaena)』)やツアーへの参加を行っている(1983年のバンシーズの来日公演にも参加)。また、バンシーズのベーシスト・スティーヴ・セヴェリンとのプロジェクトザ・グローヴの活動も並行して行い、アルバム『ブルー・サンシャイン (Blue Sunshine)』が制作された。

一方キュアーでは、フィクション・レコードのオーナー、クリス・パリーの勧めにより制作されたファンタジー三部作と呼ばれるシングル(「Let's Go To Bed」「The Walk」「The Lovecats」)がスマッシュ・ヒットし、日本発の企画盤『日本人の囁き』が作られたりもした。この三部作は、ロバートを『ポルノグラフィー』の悪夢から解放するのに貢献する。

このハードなスケジュールにより体調を崩したロバートは、キュアーとバンシーズのどちらを取るかの選択に迫られたが、結局キュアーを選ぶことになる。そして旧友ポール・トンプソン、ドラマーのアンディ・アンダーソン、『ポルノグラフィー』のエンジニアだったフィル・ソーナリーを新メンバーとして迎え、キュアーの本格的な活動を宣言した。

アルバム『ザ・トップ』リリース後の1984年10月には、中野サンプラザと大阪サンケイホールにて初来日公演(計3回公演)が行われている。[注釈 3]
第4期 (1985年-1989年)

フィルの代わりにサイモンが復帰、またアンディの代わりとしてボリス・ウィリアムスが参加したこの面子で制作されたアルバム『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドアー』は、新生キュアーの躍動感と充実感がある力作で、バンドの世界進出の足がかりとなる。

さらに続いてリリースされたアルバム『キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー』は、キュアーというバンドが持つ魅力と可能性を凝縮したバラエティーあふれる内容で、世界中で熱狂的なヒットを記録、キュアーを英国のカルト・バンドから世界的なロック・バンドへと推し進めることになった。今作のツアーでは、アルコール中毒で演奏力に問題を抱えるロルに代わるキーボード奏者としてロジャー・オドネルが参加、ロバート、ポール、サイモン、ボリス、ロジャーというキュアーの黄金期のラインナップがここに勢ぞろいする。

さらに、この時期に二度目の来日を果たしている。しかし公演はなく、いくつかのTV番組に出演するに止まった[注釈 4]

そして誰もが、今後のキュアーはこの路線を突き進んでゆくものと思っていたが、ロバートの出した回答は全く逆のものであった。アルバム『ディスインテグレーション』は原点回帰ともいえる、かつてのキュアーを彷彿とさせるような陰鬱とした内容で、いわゆる商業的路線からは逸脱していた。うろたえたレコード会社はロバートに再考を迫り、再三に渡り勧告をしたがロバートはそれを無視してリリースを強行した。


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