ザ・ガードマン
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(東京警備指令)
ザ・ガードマン
ジャンル
テレビドラマ
出演者宇津井健
藤巻潤
川津祐介
倉石功
稲葉義男
中条静夫
神山繁
清水将夫
製作
制作TBS大映テレビ室

放送
放送国・地域 日本
放送期間1965年4月9日 - 1971年12月24日
放送時間金曜21:30 - 22:30
放送分60分
回数350
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『東京警備指令 ザ・ガードマン』(とうきょうけいびしれい・ザ・ガードマン)『ザ・ガードマン』は、TBS1965年4月から1971年12月にかけて延べ6年9か月(全350話)にわたり、毎週金曜21:30 - 22:30(JST) に放送されたテレビドラマである。
概要

東京にある警備会社「東京パトロール」を舞台に、犯罪と事件から市民を守るガードマン(警備員)たちの奮闘を描く、当時はまだ発展途上だった警備という業種をテーマとしたドラマ作品である。第48話以降はタイトルから「東京警備指令」の文字が外れている。

警備員というと制服を着て特定の場所の安全・秩序を守る仕事というイメージが強いが、本作に登場する警備員の7人はスーツ姿で登場することがほとんどであった。また、行動範囲も潜入捜査を始め、地方はもちろん海外に至るまで非常に広範であり、活動スタイルは警察の捜査員に近いものだった。

第1話 - 第174話、第177話、第180話 - 第187話、第190話 - 第195話、第197話、第199話、第206話はモノクロ作品で、それ以外はカラー作品。

放送当時が高度経済成長期であったこともあり、当時では珍しかった海外ロケもKLMオランダ航空とのタイアップで、ヨーロッパを中心に多く行われた[1]。最盛期は視聴率30%を越す人気を誇り、劇場用作品も2本製作された。
制作経緯

番組に登場する警備会社「東京パトロール」は日本初の警備会社「日本警備保障」(現在のセコム)がモデルであり、制作には同社の協力を得ている[2]。番組制作にあたり、日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」だった。これに対し、当時の社長・飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったとされる。自社をモデルにされるにあたり、飯田は番組の脚本について「乱暴な言葉づかいをしない」、「女絡みなし」、「は飲ませない」の条件を出したと言われている。
影響

この番組で和製英語である「ガードマン」という言葉が少しずつ世間に広まるようになったが、セコムでは自社の警備員に対して「ガードマン」という単語は使わず「緊急対処員(ビートエンジニア)」と呼んでいる[2]

番組絶頂期にはホテルの玄関先でロケが行われ、撮影中はスタッフによって宿泊客の出入りが禁止されたという(元毎日放送アナウンサー角淳一による体験談[注釈 1])。このような事態がまかり通るほど当時の人気と影響力は絶大であり、この番組で確立された「犯罪に敢然と立ち向かう少数精鋭の民間特殊部隊」というスタイルは後に放送が開始された『キイハンター』や『プレイガールシリーズ』などにも引き継がれ、昭和40年代のアクションドラマブームの火付け役となった。

1967年9月22日に最高視聴率40.5%を記録し、またJNN全国視聴率調査においても1965年1966年と2年連続1位に輝いた。しかし、犯人や被害者の偽善や詐欺行為、破廉恥なシーンや金品強奪・違法薬物絡みの殺害シーン、犯人との銃撃戦といった残虐なシーンも多いことが子供の教育上悪影響を及ぼすとしてPTAから「子供に見せたくない番組」と抗議が殺到するようになり、その結果徐々に視聴率が低下。最終的には制作会社の大映の倒産もあり、1971年末で最終回を迎えた。

本放送終了後に地上波で再放送が行われた時期もあったが、現在では放送禁止用語になった表現[注釈 2]が劇中で頻繁に使われていたことや社会情勢の変化もあり、2000年代以降はTBSチャンネルファミリー劇場などのCS衛星放送で再放送が行われている(著作権肖像権の関係で放送されなかった回もある)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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