ザ・ウィズ_(ミュージカル)
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ザ・ウィズ
The Wiz
The Super Soul Musical "Wonderful Wizard of Oz"
作曲チャーリー・スモールズ

ティモシー・グラフェンリード
ハロルド・ウィーラー
ジョージ・フェイソン
ルーサー・ヴァンドロス
作詞チャーリー・スモールズ
ザカリー・ウォルザー
ルーサー・ヴァンドロス[1]
脚本ウィリアム・F・ブラウン
原作オズの魔法使い
by ライマン・フランク・ボーム
上演1974年、ボルチモア
1975年、ブロードウェイ
1978年、ウィズ (映画)
1984年、ブロードウェイ再演
1984年、ウエスト・エンド
2006年、サンディエゴ
2006年、オランダ
2009年、ニューヨーク・シティ・センター Encores!
2012年、日本
2015年、テレビ
受賞トニー賞 ミュージカル作品賞
トニー賞 オリジナル楽曲賞
ドラマ・デスク・アワード ミュージカル作品賞
ドラマ・デスク・アワード 楽曲賞
ドラマ・デスク・アワード 作詞賞
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ザ・ウィズ (The Wiz: The Super Soul Musical "Wonderful Wizard of Oz" ) は、チャーリー・スモールズなどの作詞作曲、ウィリアム・F・ブラウン脚本のミュージカル。1900年のライマン・フランク・ボームによる児童書『オズの魔法使い』を基に、舞台を都会にしてアフリカ系アメリカ文化を背景にした。1974年10月21日にメリーランド州ボルチモアにあるモリス・A・メカニック・シアターで開幕し、1975年1月5日、ブロードウェイに進出して新たな出演者によりマジェスティック・シアターで上演された[2]

1975年のブロードウェイ・プロダクションはトニー賞においてミュージカル作品賞を含む7部門を受賞した。このミュージカルは全て黒人出演者による作品がブロードウェイのメインストリームとなった初期の作品となった。このミュージカルはニューヨークロンドンサンディエゴオランダで再演され、また2009年6月にはニューヨーク・シティ・センターの『Encores! 』では期間限定版が上演された。1978年、巨額を投じた同名映画『ウィズ』が公開され、カルト映画となっている。2015年12月3日、NBCで生中継によるテレビ版『ザ・ウィズ・ライヴ!(英語版)』が放映される。
オーディションおよびブロードウェイ

ミュージカルのアイデアは元々プロデューサーのケン・ハーパーが考案した。彼は当初の演出家をギルバート・モゼスから、市外での試験興行中にミシガン州デトロイトジェフリー・ホールダーに交代させた。

ボルチモアのオリジナル・キャストにはドロシー役にリニー・ハリス、カカシ役にチャールズ・ヴァレンティノ、ブリキ男役にベン・ハーニー、臆病ライオン役にケン・プリマス、フィールド・マイスの女王役にバタフライ・マクイーン(英語版)が配役された。ハーニーのみがブロードウェイにも出演したが、より小さな役になった。ブロードウェイにおいてハリスはドロシー役の代役に、マクイーンはアデペリー役の代役になった。

1975年1月5日、ブロードウェイのマジェスティック・シアターでジェフリー・ホールダー演出により開幕した[3]

ステファニー・ミルズ - ドロシー

ヒントン・バトル - カカシ

タイガー・ヘインズ - ブリキ男

テッド・ロス - 臆病ライオン

ディー・ディー・ブリッジウォーター - 南の良い魔女グリンダ

アンドレ・デシールズ - ウィズ

メイベル・キング - 西の悪い魔女イヴリン

クラリス・テイラー - 北の良い魔女アダパール

テイシャ・トーマス - エム叔母

ラルフ・ウィルコックス - ヘンリー叔父

フィリシャ・ラシェイド - マンチキン

ヴィクター・ウィリス - ヘンリー叔父(後任)、ウィズ(代役)、臆病ライオン(代役)、ブリキ男(代役) ⇒[2][3]

評価は賛否両論で、プロデューサーのケン・ハーパーはブロードウェイ開幕日の夜にもう閉幕してしまおうかと考えた。しかし出演者が『Ease On Down the Road 』を歌うテレビ・コマーシャルが流れると人気が出てディスコ・グループのコンシューマー・ラポートがこの曲をシングルでリリースするなど成功に向かっていった[4]。このシングルは『ビルボード』誌のソウル・シングル・チャートで最高19位、総合チャートで最高42位となった[5]

1993年、脚本家のウィリアム・F・ブラウンは「この公演の主要投資家であった20世紀フォックスは公演継続のためさらに10万ドルを投じ、製作費110万ドルを回収するまで皆がロイヤルティー・カットに応じた。第8週にはチケットが完売になった」と語った[6]

1977年5月25日、ブロードウェイ・プロダクションはブロードウェイ・シアターに移動し、4年間1,672公演の後1979年1月28日に閉幕した[3]

1971年の『Purlie 』、1974年の『レイズン』など他のミュージカルと共に、『ザ・ウィズ』は全て黒人出演者による大規模な巨額ミュージカルとしてブロードウェイの突破口となった。のちの『Bubbling Brown Sugar 』、『ドリームガールズ』、『Duke Ellington's Sophisticated Ladies 』などのアフリカ系アメリカ人によるヒット作の基礎となった。
全米ツアー公演および再演

1976年、全米ツアー公演を行ない[7]、ツアー中、アンドレ・デシールズに代わってケネス・カマル・スコットがウィズ役、ステファニー・ミルズに代わってレニー・ハリスがドロシー役を演じ、1978年、レニー・ハリスに代わってデボラ・マローンがドロシー役を演じ、その後ロサンゼルスにあるアーマンソン・シアターで19歳のレン・ウッズがドロシー役を演じてハリウッドに大きな印象を与え、ミロス・フォアマンの映画『ヘアー』に出演することになった。当時批評家はミルズが彼女を最も気に入っていたとして、彼女の役を用意したと語った。

1984年5月24日からブロードウェイのラント・フォンタン・シアターで再演され、プレビュー7回、本公演13回の後6月3日に閉幕した。ジェフリー・ホールダーが演出し、ステファニー・ミルズがドロシー役を演じた。その後12月11日から1985年2月2日までロンドンのリリック・シアターで上演された[8]。2004年に再度ブロードウェイ再演が計画されたが[9]、実現しなかった[10]。2016年から2017年、演出家のケニー・レオンは2015年のテレビ版放映後ブロードウェイ再演を計画している[11]

2015年8月、ブロードウェイ公演40周年を記念して、ニューヨークにあるサマーステージで演出家のジョージ・フェイソンはオリジナルの楽曲と振付を使用して『The Wiz: A Celebration in Dance and Music 』を上演した。当時の出演者の多くがこの公演に出演した。マンチキン役であったフィリシャ・ラシェイドがフェイソンと共に司会を務めた。アンドレ・デシールズがウィズ役、トニー賞を受賞したディー・ディー・ブリッジウォーターがグリンダ役を、ブロードウェイ再演に出演したエボニー・ジョアンがアダパール役を再現した。シンガーソングライターのウォレス・ゲイリーがカカシ役で参加した。ダミアン・L・スニードが音楽監督および指揮者と務めた[12]

1996年-1997年シーズンから、ドロシー役にテイシャ・スコット、イヴリン役にグレイス・ジョーンズ、ウィズ役にピーボ・ブライソン、グリンダ役にセセ ・ピニストンが配役された他の全米ツアー公演が行われた。他にブリキ男役にトニー・テリー、エム叔母役にロメルダ・ベンジャミンが配役された。
他のプロダクション

1976年1月から10月、オーストラリアメルボルンシドニーでドロシー役にアンドレア・フリーソン、ブリキ男役にヴィクター・ウィリス、臆病ライオン役にフレディ・パリス、ウィズ役にチャック・マッキニー、カカシ役のロバート・エリスが配役されたJCウィリアムソン・シアター公演が行われた。1979年終盤、ウィリスはオーストラリアから戻り、ブロードウェイ公演に合流した[13]

ロンドンのフライモンキー・プロダクションは2回公演を行なった。どちらもハックニー・エンパイアにて、2000年、最初の公演が行われてロンドンの報道機関から高い評価を受け、翌2001年に2回目の公演が行われさらに高い評価を受けた。


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