ザンパ
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この項目では、オペラについて説明しています。イタリアの映画監督・脚本家については「ルイジ・ザンパ」をご覧ください。
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『ザンパ』(フランス語: Zampa)は、フェルディナン・エロルドによる全3幕からなるオペラ・コミック1831年5月3日パリオペラ=コミック座(ヴァンタドゥール劇場(英語版))で初演された。原題は『ザンパ、または大理石の許嫁』( Zampa ou La fiancee de marbre )。リブレット はメレスヴィル(フランス語版)によってフランス語で書かれている[1]。本作は『プレ・オ・クレール』(1832年)と並ぶエロルドの代表作で、19世紀を通じて大きな人気を博した[2]。日本では歌劇そのものは知られていないが「序曲だけは今でも広く知られており」[3]、しばしば吹奏楽用に編曲されて演奏される[4]
概要フェルディナン・エロルド

『ラルース世界音楽事典』によれば、本作のシナリオは恩知らずな人物という点でのアルフォンスとオッタヴィオの類似性を含めてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』にかなり似ているが、効果的な劇的情況の設定、スペクタクルに富んだ展開という点で優れている。音楽的な質の高さも相まって、長い間人気を博した。1913年までにオペラ・コミック座で689回上演された[1]

ラヴォアによれば、『プレ・オ・クレール』と本作は二作ともロマン主義を起源としている。前者が『ユグノー教徒』を誕生させたプロスペル・メリメの歴史小説[注釈 1]に由来するとするなら、後者はバイロンの暗い詩から着想を得たもののように思われる。本作では劇の馬鹿げた場面でも、その細部は音楽的である。つまり、エロルドはザンパの空想的であると同時に抒情的である性格を良く捉えている。ザンパなる人物はフランス的に取り扱われたドン・ジュアンであるが、往々にして立派な態度をとり、その粋好みはいささか古臭く、少々南仏の吟遊詩人的風である。この人物は時としてニコラ・イズアールの『ジョコンド』を思わせるものがあり、フランス楽派の中で音楽的には最も美しい人物の一人であろう。このオペラ・コミックが演じられていた時期には、この作品は詩的で抒情的な着想によって、力強い和声によって、また、色彩的な楽器編成法によって、大胆で斬新なものだった。この美しい総譜を閉じるにあたって、エロルドがオペラ・コミックでなく歌劇で、その天才を発揮できなかったことが悔やまれる[5][注釈 2]

『ザンパ』は『プレ・オ・クレール』ほどは良く作られてはいないが、様式は一層おおらかで、霊感は一層高い作品である。そして、序曲の出始めや第一幕の終曲、大理石の許嫁の出現などのような幾つかの箇所の音楽はグランド・オペラの風格を持っている[6]ナダルによるメレスヴィル

本作は初演での成功の後、すぐさまイタリアドイツに広まった。―中略―『ザンパ』はグランド・オペラから借用した要素をオペラ・コミックの中で増幅させることで、オペラ・コミックの進化に寄与している。フランスとイタリアの要素を混合した歌唱性に加えて、スペクタクルなシーン[注釈 3]も盛り込まれている。また、群衆シーンと親密な瞬間が交互に憂鬱になったり、優しくなったり、情熱的になったりと対比される。本作は明らかにパリ・オペラ座で同時期に初演されたマイアベーアの『悪魔のロベール』に対する応答となっている[7]

フレデリック・ロベールによれば、エロルドは音楽言語の全要素に等しく深い知識を持つ王政復古期の最も優れた音楽家であるが、彼の初期のオペラ・コミックである『ロバ曳き』(Le Muletier、1823年)および『マリー』(Marie、1826年)においてのほうが、最後の2作品(本作と『プレ・オ・クレール』)より一貫性があった。有名なのは最後の2作品のほうで、折衷的な作品の部類に属し、進化の転換点にさしかかっていた[8]

1830 年代は、特に傑作が豊富である。フランソワ・オベールの『フラ・ディアヴォロ』 (1830年) とエロルドの本作(1831年)および『プレ・オ・クレール』(1832年)から始まり、アダンの『山小屋(英語版)』 (1834年)と『ロンジュモーの御者』 (1836年)、そしてオベールの『黒いドミノ』(1837年) が続いた。これらの作品の成功は、大規模なものであり、『プレ・オ・クレール』を含むそれらのいくつかは、1,000回目の公演に達した。1830年代のフランスのオペラ・コミックは際立った活力を示していたと認められる[注釈 4][9]

アメリカ初演は 1833年2月16日ニューオリンズのオルレアン劇場(英語版)にてサン=クレール、アメデらの出演で、行われた。イギリス初演は1833年4月19日ロンドンのキングス劇場(英語版)にて上演された[2]

近年の注目すべき上演としては1993年に本作はウェックスフォード・オペラ・フェスティバルでイヴ・アベル(英語版)の指揮で再び上演され[10]2005年にはギーセン市立劇場(ドイツ語版)でヘルベルト・ギーツェンの指揮で再演された[11]2008年にはパリのオペラ・コミック座でのマシャ・マケイレフ(フランス語版)とジェローム・デシャン(フランス語版)による演出、 ウィリアム・クリスティの指揮、配役はカミーユがパトリシア・プティボン、ザンパがリチャード・トロクセル(英語版)、アルフォンスがベルナール・リシュテル(フランス語版)ほか、演奏はレザール・フロリサンによる蘇演が挙げられる[12][13][注釈 5]
音楽

『オックスフォードオペラ大事典』によれば、「エロルドの音楽にはロッシーニ(特に『ザンパ』で)とウェーバーの影響が見られ、また彼はオーケストラの重要性を拡大させたが、これはメユールに触発されたものと見られる。彼の作品をワーグナーが称賛していたことは『ニーベルングの指環』の細部に反映されていることで証明されている。―中略―エロルドは本質的にはボワエルデューの後継者であり、それは軽い装いを失うことなく、ロマン主義的なひだを描こうとする個性的な旋律に表れている。


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