ザルツブルク大司教
[Wikipedia|▼Menu]

ザルツブルク大司教(ザルツブルクだいしきょう、:Erzbischof von Salzburg)は、カトリック大司教である。教皇遣外使節として外から識別される身分、つまりローマ教皇庁の緋の衣を1854年以来身にまとう身分にある。この衣は枢機卿以外は着用できない。ザルツブルクの聖堂参事会は、ローマ教皇が選んだ3名の候補から次期大司教を選択する特別の権利を持っている。
歴史

中世においてはザルツブルク大司教領(英語版)(1278年 - 1803年)の領主でもあった。

ザルツブルク大司教1803年神聖ローマ帝国における聖界諸侯の廃止まで、神聖ローマ帝国の諸侯フュルスト)を兼ね、そのため大司教侯(Fursterzbischof)の称号を有していた。大司教職には既に10世紀より、「生得の教皇遣外使節」("geborene Legaten")として、切迫した事情のある場合はローマ教皇の決断の代りに教区の中で必要な決断する権限が備わり、破門宣告をすることもできた。1072年以後、1934年オーストリアとの政教条約締結まで、「ザルツブルク大司教領」であるキームゼー、ゼッカウ、グルク、ラヴァントでは教皇の承認をまたず司教の任命・指名をすることができた。 1869年第1回バチカン公会議においてもなお、ローマ教皇ピウス9世が、ザルツブルクの大司教マクシミリアン・フォン・タルノーツィを指して、「みたまえ、半教皇(教皇の権限を半分持っている人)がここに来たよ。自分で司教を任命できる人が」と言ったという話が広く伝わっている。
歴代大司教および任期

聖ルーペルト修道院長・初代司教(St. Rupert)
696年-718年

聖ヴィルギル修道院長・行政長官(St.Virgil) 747年-784年749年から司教。

聖アルノ修道院長・司教(St.Arno) 785年-821年798年から大司教。

アダルラム(Adalram) 821年-836年

ロイトラム(Leutram) 836年-859年

アダルウィン(Adalwin) 859年-873年

アダルベルト1世(Adalbert I) 873年

ディートゥマール1世(Dietmar I) 873年-907年 。ハンガリー軍との戦争で戦死。

ピルグリム1世(Pilgrim I) 907年-923年

アダルベルト2世(Adalbert II) 923年-935年

エギルホルフ(Egilholf) 935年-939年

ヘルホルト(Herhold) 939年-958年

フリードリヒ1世(Friedrich I) 958年-991年

聖ハルトヴィク(St. Hartwik) 991年-1023年

グンター(Gunther) 1024年-1025年

ディートゥマール2世(Dietmar II) 1025年-1041年

ヒポルトシュタイン伯聖エーベルハルト1世(St. Eberhard I, Graf von Hippoltstein) 1147年-1164年

コンラート2世(Konrad II) 1164年-1168年

アダルベルト3世・フォン・ベーメン(Adalbert III von Boehmen) 1168年-1177年

ヴィッテルスバッハ伯コンラート3世(Konrad III, Graf von Wittelsbach) 1177年-1183年。枢機卿。

アダルベルト3世・フォン・ベーメン(Adalbert III von Boehmen)(再任) 1183年-1200年

レーゲンスベルク伯エーバーハルト2世(Eberhard II, Graf von Regensberg) 1200年-1246年

ブルクハルト1世・フォン・ツィーゲンハイン(ドイツ語版)、(Burkhart I von Ziegenhain) 1247年

フィリップ・フォン・シュポンハイム(Philipp von Sponheim) 1247年-1256年

ウルリッヒ・フォン・ゼッカウ(Ulrich von Sekau) 1256年-1265年

ヴラディスラフ・フォン・シュレージエン(Wladislaw von Schlesien) 1265年-1270年

フリードリヒ2世・フォン・ヴァルヒェン(ドイツ語版)(Friedrich II. von Walchen) 1270年-1284年

ルドルフ・フォン・ホーエネック(Rudolf von Hoheneck) 1284年-1290年

コンラート4世・フォン・ブライテンフルト(Konrad IV von Breitenfurt) 1291年-1312年

ヴァイハルト・フォン・ポルハイム(Weichard von Pollheim) 1312年-1315年

フリードリッヒ3世・フォン・リープニッツ(Friedrich III von Liebnitz) 1315年-1338年

ハインリッヒ・ピルンブルンネル(Heinrich Pyrnbrunner) 1338年-1343年

オルドゥルフ・フォン・ヴィーセネック(Ordulf von Wiesseneck) 1343年-1365年

ピルグリム2世・フォン・プフハイム(Pilgrim II, von Puchheim) 1365年-1396年

グレゴール・シェンク・フォン・オスターヴィッツ(Gregor Schenk von Osterwitz) 1396年-1403年

エーバーハルト3世・フォン・ノイハウス(Eberhard III von Neuhaus) 1403年-1427年

エーバーハルト4世・フォン・シュタルヘンベルク、(Eberhard IV von Starhemberg) 1427年-1429年

ヨハン2世・フォン・ライスベルク(Johann II von Reisberg) 1429年-1441年

フリードリヒ4世・トゥルフゼース・フォン・エマーベルク(Friedrich IV Truchsees von Emmerberg) 1441年-1452年

ジークムント1世・フォン・フォルカースドルフ(Sigmund I von Volkersdorf) 1452年-1461年

ブルクハルト2世・フォン・ヴァイスプリアッハ(Burkhart II, von Weisspriach) 1461年-1466年

ベルンハルト・フォン・ローア(Berhard von Rohr) 1466年-1482年

ヨハン3世・ベッケンシュラーガー(Johann III Beckenschlager) 1482年-1487年行政長官、1487-1489年大司教

シャウンベルク伯フリードリヒ5世(Friedrich V Graf von Schaunberg) 1489年-1494年

ジークムント2世・フォン・ホレネック(Sigmund II von. Hollenegg) 1494年-1495年

レオンハルト・フォン・コイチャッハ(Leonhard von Keutschach) 1495年-1519年 ユダヤ人の追放を行う。

マッテウス・ランク・フォン・ヴェレンブルク(Matthaeus Lang von Wellenburg) 1519年-1540年

エルンスト・フォン・バイエルン(Ernst von Bayern)1540年-1554年

ミヒャエル・フォン・キューンブルク(Michael von Kuenburg)1554年-1560年

ヨハン・ヤコブ・フォン・キューン=ベラースィ(Johann Jakob von Kuen-Belasy)1560年-1586年

ゲオルク・フォン・キューンブルク(Georg von Kuenburg)1586-1587年

ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ(Wolf Dietrich von Raitenau) 1587年 - 1612年 廃位されホーエンザルツブルク城に幽閉される。1617年、獄中で死去。

ホーエネムス伯マルクス・ジッティクス(Markus Sittikus, Graf von Hohenems) 1612年-1619年

ロドロン伯パリス(Paris Graf von Lodron) 1619年-1653年

トゥーン伯グイドバルト(Guidobald Graf von Thun) 1654年 - 1668年。枢機卿。

マックス・ガンドルフ・フォン・キューンブルク(Max Gandolf Graf von Khuenburg) 1668年-1687年。枢機卿。

ヨハン・エルンスト・フォン・トゥーン(Johann Ernst Graf von Thun) 1687年 - 1709年

ハラッハ侯フランツ・アントン(Franz Anton Furst von Harrach) 1709年 - 1727年

フィルミアン男爵レオポルト・アントン・エロイテリウス(英語版)(Leopold Anton Eleutherius Freiherr von Firmian) 1727年 - 1744年プロテスタントを迫害した(de:Salzburger Exulanten)。

ヤコブ・エルンスト・フォン・リーヒテンシュタイン-カステルコルノ(Jakob Ernst von Liechtenstein-Castelcorno) 1744年-1747年

ディートリヒシュタイン伯アンドレアス・ヤコブ(Andreas Jakob von Dietrichstein) 1747年-1753年

シュラッテンバッハ伯ジークムント3世(Siegmund III. Graf von Schrattenbach) 1753年 - 1771年

コロレド伯ヒエロニュムス(Hieronymus Graf von Colloredo) 1772年-1812年1803年のザルツブルク世俗化により聖界諸侯の地位を失う。大司教に仕える宮廷音楽家だったモーツァルトとの対立で知られる。

ジークムント・クリストフ・フォン・ツァイル・ウント・トゥラウハブルク(行政長官)(Sigmund Christoph von Zeil und Trauchburg)1812年-1814年

レオポルト・マクシミリアン・フォン・フィルミアン(Leopold Maximilian von Firmian) 1816年-1822年。ウィーン大司教に転じ、1831年死去。

アウグスト・グルーベル(Augustin Gruber) 1823年-1835年

フリードリヒ・ヨハネス・フォン・シュヴァルツェンベルク(Kardinal Friedrich Johannes von Schwarzenberg) 1835年-1849年。枢機卿。プラハ大司教に転じ、1885年死去。

マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・タルノーツィ(Kardinal Maximilian Joseph von Tarnoczy) 1851年-1876年。枢機卿。

フランツ・アルベルト・エーダー(Franz Albert Eder) 1876年-1890年

ヨハネス・ハラー(Kardinal Johannes Haller) 1890年-1900年。枢機卿。

ヨハネス・バプティスト・カッチャタラー(Kardinal Johannes Baptist Katschthaler) 1900年-1914年。枢機卿。

アンドレアス・ローラッハー(Andreas Rohracher) 1943年-1969年

エドゥアルト・マッハイナー(Eduard Macheiner) 1969年-1972年

カール・ベルク博士(DDr. Karl Berg) 1973年-1988年

ゲオルク・エーダー博士(Dr. Georg Eder) 1989年-2002年

アロイス・コートガッセル博士(Dr. Alois Kothgasser Salesianer Don Boscos) 2003年-2013年。後任のラクナーが任命されるまで、大司教区における教皇代理。2018年現在、名誉大司教。

フランツ・ラクナー(Franz Lackner) 2014年-

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ザルツブルク大司教に関連するメディアおよびカテゴリがあります。

ザルツブルク大司教たち(日本語) - ウェイバックマシン

典拠管理データベース


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef