ザッハトルテ
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この項目では、ケーキについて説明しています。日本のインストゥルメンタル・バンドについては「ザッハトルテ (バンド)」をご覧ください。
ホテルザッハーのザッハトルテフランツ・ザッハー

ザッハトルテ(: Sachertorte、ウィーン読み: サハトルテ、サッハートルテ)は、フランツ・ザッハーが創作し、オーストリアにある彼の『ホテル・ザッハー』および洋菓子店であるデメルが提供するトルテに類する菓子である。古典的なチョコレートケーキの一種。ザッハートルテとも呼ばれる。
概要

小麦粉バター砂糖、そしてチョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズジャムを塗った後に、表面全体を溶かしチョコレート入りのフォンダンで糖衣掛けする。ブリティッシュ ベイクオフのシーズン2では「伝統的には、(完成した)さらにその上にチョコレートでザッハーと文字を書く」と紹介された。スポンジを上下に切り分けて、間にジャムを塗る場合もある。

こってりとした濃厚な味わいを特徴とする、ウィーンの『ホテル・ザッハー』の名物菓子であり、チョコレートケーキの王様と称される。しかしバターとチョコレートに砂糖とジャムで本当に濃厚に仕上がるため、しばしば口直しとして砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて食べる。

近年は多数のカフェや洋菓子店により、ザッハトルテと称したチョコレートケーキが提供されているが、あくまでフランツ・ザッハーが『ホテル・ザッハー』で提供しているチョコレートのトルテをザッハトルテとする場合、それらは単にチョコレートのトルテの一種とするのが正しい。しかし、ザッハトルテは別に商標でもなければ、フランツ・ザッハーの死後100年以上経過し、そのレシピや名称は多くの国で著作権の保護対象にないため、少なくとも日本のカフェや洋菓子店が無許可でザッハトルテを模倣し提供することは自由である。
歴史

1832年に、クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人の一人だったフランツ・ザッハーが考案した[注釈 1]。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れというメッテルニヒの要望に応えたものであった。ザッハトルテは大変に好評で、翌日にはウィーン中の話題になったという。当時はザッハーはまだ16歳で下級の料理人にすぎなかったが、ザッハトルテの成功から頭角を現した。ザッハトルテはフランツのスペシャリテ(特製料理)として好評を博しつづけた。後に次男のエドゥアルトがホテル・ザッハーを開業すると、ザッハトルテはそのレストランとカフェで提供された。

レシピは門外不出とされたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥ったのをきっかけに、資金援助をしたウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が、代償にザッハトルテの販売権を得た。この際に「元祖ザッハトルテ」の文字をケーキの上にホワイトチョコレートで描く権利も譲渡したとも言われる。ここで、デメルの娘がザッハーの息子に嫁いだ際にレシピが流出したとする話があるが[1]、事実とは異なる俗説である[2]

その後、ハンス・スクラッチ『ウィーンの菓子店』という本にまで、秘密のレシピは掲載されてしまった。ついにはホテル・ザッハー側が、デメルを相手取って商標使用と販売の差し止めを求めて裁判を起こしたが、7年に及ぶ裁判の結果、ホテル・ザッハーにもデメルにも双方にザッハトルテ(Demel's Sachertorte)の販売を認める判決が下った。その結果、デメルのものは「デメルのザッハトルテ」(Demel's Sachertorte)として、ホテル・ザッハーのものは「オリジナルザッハトルテ」(Original Sacher-Torte)として売ることになった。ザッハーのものはアンズのジャムを内部にも挟むのに対し、デメルのザッハトルテは表面にのみ塗る、という違いがある[3][4][5][6]

なお、ザッハトルテは最古のチョコレートケーキと言われることもあるが[7]18世紀前半には文献上にチョコレートケーキは出現しているので誤りである。チョコレートを混ぜたケーキはヨーロッパ各地にみられ、ザッハーが最初に生み出したものではない[8]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1814-1815年のウィーン会議で創出されたとする説もある。しかし、その場合、フランツ・ザッハーの生まれる前となり、時期が合わない。

出典^ 雁屋哲原作花咲アキラ画「 ⇒第2話 とんでもない親友」『美味しんぼ』 第44巻、小学館、1994年5月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-09-183284-9


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