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ザスタバ
Zastava Automobiles
本社正面
種類ジョイント・ストック・カンパニー
本社所在地セルビア、クラグイェヴァツ
設立1904年(自動車部門)
1853年(大砲工場として)
業種輸送用機器
事業内容自動車産業
所有者セルビア政府
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ザスタバまたはツァスタバ(セルビア語キリル文字:Застава, ラテン文字:Zastava)は、自動車と小火器の製造を行うセルビアの工業コングロマリット。根拠地はクラグイェヴァツ。
1853年に創立された大砲の鋳造工場を前身とし、第二次大戦後にZavodi Crvena Zastava と名づけられた。イタリアのフィアット車をライセンス製造していることで知られる。日本ではツァスタヴァと呼ばれることも有るが、正しいセルビア語の発音はザスタヴァに近い。
自動車初期のザスタバ・750ユーゴ・311として英国に輸出されたZastava Skala1980年代の Yugo 45 A
Koral の国内仕様車
数字はエンジンの馬力を表しており、フィアット流の命名法である。
ザスタバの乗用車部門は1954年に、フィアット・1300
、フィアット・1400、及びフィアット・1900の派生車を初めて生産した。以後、ザスタバは、フィアット・600をライセンス生産したZastava 750(Застава 750、1965年生産開始)や、フィアット・128から派生したZastava Skala(1971年生産開始)、フィアット・127から派生したZastava Koral(1980年生産開始)などの車を製造する企業として西側で広く知られた。
1970年代に Skala をイギリスを含む西欧や南米に、1980年代には Koral を北南米や西欧諸に「ユーゴ」(Yugo)ブランドで輸出、販売を行った。
アメリカ合衆国とカナダではBricklin が輸入代理店となり、1986年から Koral をYugo GV として3,990ドルという破格の低価格で販売したが、あまりの品質の低さに販売が行き詰まり、わずか2年間で撤退している。 しかし、ユーゴスラビア紛争の勃発で1993年までに西側市場からほとんど姿を消し、コソボ紛争の激化による労働者の散逸[1]と、1999年3月からのNATO軍による工場の空爆[2]によって、自動車の生産は中止に追い込まれた。補修部品の供給も止まり、ユーザーは中古車や乗り捨てられた車を部品取りとするしかなかった。 アフトヴァースなど他の旧東側諸国の自動車メーカーと同様に、冷戦終結後のザスタバにはさまざまな経営上の難局が到来した。西側市場からの撤退に加え、紛争の混乱などで新車開発がほとんど行なえず、バルカン諸国向けにフィアット・128の派生車種を、フロントグリルなどに小変更を加えて製造するにとどまった。
1990年代-2000年代