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ザグレブ大学Sveu?ili?te u Zagrebu
ラテン語: Universitas Studiorum Zagrabiensis
種別国立大学
設立年1669年9月23日
資金3億2850万 クーナ
学長Damir Boras
教員数7,915人 [1]
学生総数72,480人(2015年)[1]
大学院生7,243人(2007年)
博士課程在籍者842人(2007年)
所在地クロアチア共和国
ザグレブ
キャンパス市内全域(中心部を含む)に点在
公式サイト ⇒unizg.hr
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ザグレブ大学(ザグレブだいがく、クロアチア語: Sveu?ili?te u Zagrebu, ラテン語: Universitas Studiorum Zagrabiensis)は、クロアチア共和国の首都ザグレブに所在する、同国最大規模の国立大学である[1]。設立は1669年で現存するクロアチアの大学としては最も古く、南東ヨーロッパ全域およびオーストリア・ウィーン以南の中央ヨーロッパの中でも古い大学に属する[2]。2011年には世界大学学術ランキングで世界大学トップ500に数えられた[3]。また学内での研究成果が国内に占める割合は約51%と過半数に達する[1]。 ザグレブ大学の前身となる学校は1669年に創設された。17世紀のクロアチア地方はオーストリア(ハプスブルク君主国)の支配下にあるハンガリー王国の領内であり、当時神聖ローマ皇帝にしてハンガリー王であったハプスブルク家のレオポルト1世によって統治されていた。1669年9月23日、レオポルト1世が王領自治市であるザグレブでのイエズス会学校の設立を認可する法令を発布し[4]、これを受けてザグレブ大学の前身となるイエズス会学校が設立された。この学校での哲学研究はネオアカデミア・ザグラビエンシス(ラテン語: Neoacademia Zagrabiensis, 「ザグレブの新学校」の意)として正式かつ法的な地位を獲得し、学校も公式な高等教育機関となった。 学校はイエズス会員らによって運営され、この体制はイエズス会が1773年に教皇クレメンス14世によって解散されるまで1世紀以上続いた。1772年に新体制が執行された時点での学生数は約200人であった。 1776年、ハンガリー王位を継承したマリア・テレジアにより王立科学学校(ラテン語: Regia Scientiarum Academia)の設立認可が発布された[4]。この学校は哲学、神学、法学の3学部から構成されており、それまでの政治行政学 (political-cameral) は新設された法学部の一部として取り込まれた。各学部には単一もしくは複数の学科を受け持つ教授が複数名配置された。 学校は組織の変更を複数回経ながらも、クロアチアのインテリゲンツィア(知識人層)の大多数を教育するクロアチアの中心的な高等教育機関として1874年まで存続した。
歴史
イエズス会学校
大学として(英語版
1874年時点では大学には次の4学部が存在した。
法学部 (Pravno-dr?avoslovni fakultet)
神学部 (Bogoslovni fakultet)
哲学部 (Mudroslovni fakultet)
医学部 (Lije?ni?ki fakultet)
医学部は1874年時点では大学機能に含まれておらず、機能化は1917年まで待たなければならなかった。当時の哲学部は科学分野全般を領域としていた[註 1]。1876年からは地質学・植物学・物理学・数学・化学が、1877年からは動物学が、1882年からは薬学が、1883年からは地理学が哲学部に含まれた。
1860年以降は他の大学の吸収が続いた。まず1860年に、王立農林大学がクリジェヴツィ(英語版)に開設された[7]。1898年には林業大学 (?umarska akademija) が哲学部の一部として開設され、哲学部はすべての専門領域を包括することとなった。林業学部は1919年に農林学部として分立している。また1919年には技術学校 (Tehni?ka visoka ?kola) と獣医学学校 (Veterinarska visoka ?kola) が開設され、獣医学学校は1925年に、次いで技術学校は1926年にそれぞれザグレブ大学の学部として編入された。 1920年代には哲学部の大規模な再編が立て続けに行われた。1928年に数学科・薬学科が哲学部から分離したのを皮切りに、次第にその他科学部門も分離されていった。両学部が分離された1928年には、哲学部は現在の名称 Filozofski fakultet に変更されている。 1926年時点では次の7学部が存在した。 第二次世界大戦中のクロアチア独立国時代にはクロアチア大学 (Hrvatsko sveu?ili?te) としても知られた。 哲学部にあった各学科は1942年、1946年(理学部の開設)、1963年に順次分離され独立の学部となった。 工学部も1956年に次の4学部に分割された。 これ以降の現行の学部については#設置学部にて後述する。 29学部・3芸術学校と、クロアチア学(国学)を学ぶセンターが設置されている[8][9]。
学部再編
神学部 (Bogoslovni fakultet)
法学部 (Pravni?ki fakultet)
医学部 (Lije?ni?ki fakultet)
哲学部 (Mudroslovni fakultet)
哲学科 (Filozofski odjel)
薬学科 (Farmaceutski odjel)
農林学部 (Gospodarsko-?umarski fakultet)
獣医学部 (Veterinarski fakultet)
工学部 (Tehni?ki fakultet)
建築学科 (Gra?evni odsjek)
工学科 (Strojarski odsjek)
化学工学科 (Kemijsko-in?enjerski odsjek)
建築・測地学部 (Arhitektonsko-gra?evinsko-geodetski fakultet)
電気工学部 (Elektrotehni?ki fakultet)
機械工学部 (Strojarsko-brodogra?evni fakultet)
食品化学技術開発部 (Tehnolo?ki fakultet) [訳語疑問点]
組織
設置学部
自然科学
理学部
工学
建築学部
化学工業・技術学部
土木工学部
電気工学・コンピューティング学部
測地学部
地盤工学部
グラフィックアート学部
機械工学・造船工学部
金属工学部
鉱業・地質・石油工学部
繊維技術学部