ザクセン=コーブルク=ゴータ家
Haus Sachsen-Coburg und Gotha
国 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国
ベルギー王国
ポルトガル王国
ブルガリア公国
ブルガリア王国
イギリス
主家ザクセン=コーブルク=ザールフェルト家
創設1826年 (198年前) (1826)
家祖エルンスト1世
現当主アンドレアス
(ザクセン=コーブルク=ゴータ公家)
民族ドイツ人
分家ザクセン=コーブルク=コハーリ家
ウィンザー家
著名な人物レオポルド2世
ザクセン=コーブルク=ゴータ家(ドイツ語: Haus Sachsen-Coburg und Gotha)は、ヴェッティン家(エルネスティン家)の分家で、ドイツ中部にあったザクセン=コーブルクおよびザクセン=ゴータの2つの領邦からなるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系である。
一族からは現在のベルギー王家(サクス=コブール=ゴータ家)、イギリス女王ヴィクトリアの夫アルバート(サクス=コバーグ=ゴータ家)、ポルトガル女王マリア2世の夫フェルナンド2世(ブラガンサ=コブルゴ家)、およびブルガリアの君主(サクスコブルゴツキ家)も出た。 家名を各国語で表記すると次の通りである。 ザクセン=コーブルク、ザクセン=ゴータの両公国はともにドイツ連邦に加盟し、ヴェッティン家エルネスティン系が統治する諸公国
家名
ドイツ語: Sachsen-Coburg und Gotha (Sachsen-Coburg-Gotha)
英語: Saxe-Coburg and Gotha (Saxe-Coburg-Gotha)
フランス語: Saxe-Cobourg et Gotha (Saxe-Cobourg-Gotha)
オランダ語: Saksen-Coburg en Gotha (Saksen-Coburg-Gotha)
ハンガリー語: Szasz-Coburg es Gotha (Szasz-Coburg-Gotha)
ポルトガル語: Saxe-Coburgo e Gota (Saxe-Coburgo-Gota)
ブルガリア語: Сакскобургготски
ザクセン=コーブルク=ゴータ家「ザクセン=コーブルク=ゴータ公国」も参照
1844年にエルンスト1世が死去すると、長男エルンスト2世が公位を継承した。1893年にエルンスト2世が子を得ずに死去すると、公位継承権は弟アルベルト(アルバート)とイギリス女王ヴィクトリア(母はエルンスト1世の妹ヴィクトリア)の長男であるイギリス皇太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)に渡ったが、アルバート・エドワードは次弟のエディンバラ公アルフレッドに継承権を譲った(アルフレート)。アルフレートは1900年に死去したが、唯一の男子アルフレートは前年に自殺していた。コノート公アーサー(アルバートの三男)とその息子アーサーが辞退したため、オールバニ公チャールズ・エドワード(アルバートの四男レオポルドの唯一の男子)が公位を継承した(ドイツ名カール・エドゥアルト)。
カール・エドゥアルトは第一次世界大戦中にドイツ陸軍の将軍として軍務に就いていたため、1919年に称号剥奪法に基づいてオールバニ公爵位を剥奪された。また、1919年にはイギリス王族としての身分もカール・エドゥアルトとその子孫から剥奪されている。一方、1918年11月18日にドイツ革命によってカール・エドゥアルトは公国を追放され、コーブルクとゴータは別個の州となり、1920年にはバイエルン自由州とテューリンゲン州に編入されて消滅した。
一方、イギリス王家はエドワード7世の子孫によって存続している。
また、エルンスト1世にはフェルディナント、レオポルトの2人の弟がいた。レオポルトは1831年に初代ベルギー国王に即位し(レオポルド1世)、現在のベルギー王家の祖となった。フェルディナントはハンガリーの名門貴族コハーリ家(英語版)のマーリア・アントーニアと結婚して同家の後継者となった(コブルグ=コハーリ家)が、その長男フェルディナントは1836年にポルトガル女王マリア2世と結婚し(フェルナンド2世)、1910年に革命で王制が廃止されるまでポルトガル王家として続いた(ブラガンサ=コブルゴ家)。