ザクセン=コーブルク=コハーリ
家
国ハプスブルク君主国
ポルトガル王国
ブラジル帝国
ブルガリア王国
主家ザクセン=コーブルク=ゴータ家 (男系)
コハーリ家
ザクセン=コーブルク=コハーリ家 (Sachsen-Coburg-Kohary)は、 ドイツ中部にあったザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系であるザクセン=コーブルク=ゴータ家のカトリック系の分家で、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナントとコハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ公女マーリアが結婚したことにより始まった。同家からは、最後のポルトガル国王3代(ルイス1世、カルロス1世、マヌエル2世)並びにブルガリア国王3代(フェルディナント、ボリス3世、シメオン2世)が出ている。 1816年1月にザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナントとコハーリ・マーリア・アントーニアが結婚し[1]、1826年に妻の父親であるコハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ公ヨージェフが没すると、フェルディナント公子は妻の実家であるハンガリー、コハーリ家 (ハンガリー語版
歴史
フェルディナント公子、マーリア公女夫妻は以下の4人の子を儲け、いずれもカトリックで育てた。
フェルナンド2世 (1816年 - 1885年) - ポルトガル女王マリア2世の王配。
アウグスト (1818年 - 1881年) - ブルガリア国王フェルディナントの父。
ヴィクトリア (1822年 - 1857年) - ヌムール公ルイと結婚。
レオポルト (独語版) (1824年 - 1884年)
コハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ女公マーリア(1797年?1862年)