ザカリー・テイラー
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ザカリー・テイラー
Zachary Taylor


アメリカ合衆国
第12大統領
任期1849年3月4日[1]1850年7月9日
副大統領ミラード・フィルモア

出生1784年11月24日
アメリカ合衆国 バージニア州バーバーズビル
死去 (1850-07-09) 1850年7月9日(65歳没)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
政党ホイッグ党
配偶者マーガレット・テイラー
子女アン・マッコール・テイラー
サラ・ノックス・テイラー
オクタヴィア・パニル・テイラー
メリー・スミス・テイラー
メリー・エリザベス(テイラー)ブリス
リチャード・テイラー
署名

ザカリー・テイラー
Zachary Taylor
所属組織 アメリカ合衆国
アメリカ陸軍
軍歴1808年 - 1848年
最終階級少将
除隊後アメリカ合衆国大統領
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ザカリー・テイラー(: Zachary Taylor, 1784年11月24日 - 1850年7月9日)は、アメリカ合衆国軍人政治家、第12代大統領

在職中に死去した2人目の大統領であるほか、在任中に死亡した歴代大統領8人のうち、20で割り切れない年に選出された(いわゆるテクムセの呪いとは関係なく死去した)唯一の大統領でもある。当初は政治に無関心であったが、1848年ホイッグ党から大統領選に出馬し、ルイス・カスを破って大統領に当選した。また、在職中に奴隷を所有した最後の大統領でもあり、大統領選に勝利した最後のホイッグ党員となった。

テイラーは「オールド・ラフ・アンド・レディ」(老暴れん坊)として知られており、陸軍での40年の経歴を持つ。米英戦争ブラック・ホーク戦争第二次セミノール戦争米墨戦争に従軍した。大統領としてテイラーは奴隷制度の問題に対して穏健な姿勢を取り、政治は議会に任せ、自分は法を実施すればよいという姿勢を示したことで、南部からの反感を買った。ニューメキシコカリフォルニアの移民に州としての憲法を起草するよう訴えた。そして、1850年協定の成立の準備を行った。テイラーは就任からちょうど16か月目に死去し、史上3番目に在任が短い大統領となった。その死因は胃腸炎だと考えられる。テイラーの後には、副大統領のミラード・フィルモアが大統領に昇格した。
生い立ち

ザカリー・テイラーは1784年11月24日バージニア州オレンジ郡の農場で[2][3][4]、農園主のリチャード・テイラーとサラ・ストローザー[5]夫妻の間に生まれる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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