公用語グルジア語
アゼルバイジャン語
アルメニア語
首都ティフリス
ザカフカース議会議長
1918年 - 1918年ニコライ・チヘイゼ
閣僚会議議長
1918年 - 1918年アカキ・チケンケリ(ロシア語版)
変遷
建国1918年4月22日
共和国廃止1918年5月26日
通貨ルーブル
ザカフカース民主連邦共和国(ザカフカースみんしゅれんぽうきょうわこく、ロシア語: Закавказская демократическая федеративная республика)は、1918年4月から5月にかけて南カフカース(アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア)に存在した連邦国家である。ロシア革命にともない、アゼルバイジャンのミュサヴァト党、アルメニアのダシナク党(民族主義者)、ジョージア(グルジア)のメンシェヴィキを中心としてロシアからの分離、独立を果たしたが、2ヶ月も経たないうちに3カ国に分裂した。
歴史
前史「ロシア帝国下のグルジア」も参照
ロシア帝国時代、南コーカサス地方はティフリス(現在のトビリシ)カフカース総督府の管轄下に置かれていたが、二月革命後の1917年旧暦3月9日、その権限は超党派のザカフカース特別委員会(英語版)(露: ОЗАКОМ)に引き継がれた[1][2]。委員会はペトログラードの臨時政府に従って戦争を継続し、十月革命をボリシェヴィキのクーデターとして退けた[3]。しかし、革命によりロシア人兵士が帰還すると、オスマン帝国との戦線は劣勢となった[4]。
1917年旧暦11月15日にはザカフカース委員部(ロシア語版)が形成され、グルジア人メンシェヴィキのゲゲチコリ(英語版)議長を含めた12名で構成された[5]。さらに18年2月には立法機関としてザカフカース議会(セイム)(ロシア語版)が設置された[5]。
1918年3月3日、モスクワのソビエト政府はブレスト=リトフスク条約により同盟国と講和したが、しかしザカフカース委員部に諮ることなく、オスマン帝国に隣接するカルス州とバトゥーム州を放棄したため、やがて2州は占領された[5][4]。 このような事態に対処するため[5]、あるいはオスマン帝国の要求に従い[4]、1918年4月22日にザカフカース議会はロシアからの分離、ザカフカース民主連邦共和国の建国を宣言した[5][4]。 共和国の最高機関は、ザカフカース議会であり、ニコライ・チヘイゼ(グルジア人)が議長を務め、アルメニア人とアゼルバイジャン人が副議長を務めた。共和国政府はブレスト=リトフスク条約を認めなかったが、軍事力を有さなかったため、5月11日?26日、バトゥーミにおいてドイツ・トルコ軍司令部と交渉に入った。交渉中、3民族の意見の相違(アルメニアとグルジアは親独、アゼルバイジャンは親土など)が明らかになったため、3民族の国民会議は独立国家の建国に賛成した。また、ドイツ・トルコ側も連邦共和国の廃止に賛成した。
独立宣言