ザカスピ州
Закаспийская область
州章
地図
基本情報
首都アシハバード
設置期間1882年 - 1921年
面積約488,000平方ベルスタ
(約555,000km2)
人口約382万人
(1897年推計)
ザカスピ州(ザカスピしゅう、ロシア語:Закаспийская область)は、中央アジアに設置されたロシア帝国の州(オーブラスチ)の1つ。首都はアシハバード(現在のアシガバード)。 州の領域は、現在のトルクメニスタンおよび、ウズベキスタンのカラカルパクスタン共和国、カザフスタンのマンギスタウ州の一部に相当する。州の南側はイラン、アフガニスタンと国境を接し、東側はロシアの保護国であるブハラ・アミール国、ヒヴァ・ハン国と接していた。 1869年8月22日、カスピ海東岸(ヒヴァ・ハン国)の占領が許可され、同年秋、N.ストレトフ大佐の部隊が上陸作戦を行い、クラスノヴォーツク要塞を築城した。1873年にヒヴァ戦争
地理
歴史
前史
1877年にオレンブルクとサマーラ間の鉄道が完成。1879年、同軍区に基づきザカスピ遠征隊が編成された(ロマキン(ロシア語版)、スコベレフ、アネンコフ(英語版))。1880年にザ・カスピ鉄道のうちカスピ海に面したUzun-Ada港から内陸都市 Kyzyl-Arvat (Gyzylarbat、現在のトルクメニスタンのSerdar)までを結ぶ路線が開通する。
ザカスピ州ザカスピ州の地図
1882年アシハバードを中心として、マングイシュラク郡、クラスノヴォツク郡、アハルテク郡の3郡を管轄するザカスピ州が設置された。1884年、メルヴ郡、テジェン郡が同州に併合された。1885年、ペンディン・オアシスが併合された。ザカスピ州の領域は1885年までにロシア帝国に征服され、1886年にザ・カスピ鉄道はアシガバートやメルブ(現在のマル)まで伸びた。
ザカスピ州は、当初チフリスのザカフカース総督管区(ロシア語版、英語版)の管轄下とされていたが、1888年にザカスピ鉄道のうち、トルキスタン総督府が設置されていたタシケントとアシハバード間の路線が開通したため、1890年、軍事省直轄とされ、アハルテク郡(後にアシハバード郡)、クラスノヴォツク郡、テジェン郡、チャルジョウ郡、メルヴ郡の5郡に区画された。1897年からは、トルキスタン総督府の管轄下に移管された。
1905年にはトルクメンバシからバクーへカスピ海を連絡する鉄道連絡船が登場した。1906年にはトランス・アラル鉄道(オレンブルク-タシュケント間)が完成し、トルクメンバシからオレンブルクまで繋がる。
ロシア革命後ソ連の中央アジア情勢(1922年)「ミールサイト・スルタンガリエフ」および「バスマチ蜂起」も参照
ロシア革命の後、1921年にザカスピ州はトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国内のトルクメン州(ロシア語版)として再編された。1924年には、中央アジアの民族境界画定工作が行われ、ザカスピ州の領域の大部分はトルクメン・ソビエト社会主義共和国に再編され、ウズベク・ソビエト社会主義共和国(タジク自治SSR、カラカルパク自治州(英語版))と分割された。
トルクメン・ソビエト社会主義共和国 → トルクメニスタン
ウズベク・ソビエト社会主義共和国・カラカルパク自治ソビエト社会主義共和国→ ウズベキスタン・カラカルパクスタン共和国
カラ=キルギス自治州(英語版) → キルギス自治ソビエト社会主義共和国 → キルギス・ソビエト社会主義共和国 → キルギス共和国(キルギスタン)