サークル・ゲーム_(ジョニ・ミッチェルの曲)
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「サークル・ゲーム」
ジョニ・ミッチェル楽曲
収録アルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン
リリース1970年4月[1][2]
録音ロサンゼルス、A&Mスタジオ
ジャンルフォークロック
時間4分50秒
レーベルリプリーズ・レコード
作詞者ジョニ・ミッチェル
作曲者ジョニ・ミッチェル
プロデュースジョニ・ミッチェル

『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』 収録曲

Side 1

「モーニング・モーガンタウン」

「フォー・フリー」

「会話」

「レディズ・オブ・ザ・キャニオン」

「ウィリー」

「アレンジメント」

Side 2

「レイニー・ナイト・ハウス」

「プリースト」

「ブルー・ボーイ」

ビッグ・イエロー・タクシー

ウッドストック

「サークル・ゲーム」

ミュージックビデオ
「The Circle Game」 - YouTube

「サークル・ゲーム」 (The Circle Game) は、ジョニ・ミッチェルが作詞作曲した楽曲。ミッチェルのコンサートの定番曲であり、彼女の代表作の一つ。
概要

ミッチェルはカナダのフォーククラブに出演していた1965年頃、同じくフォークシンガーとして活動していたニール・ヤングと出会う[3][4]。"You can't be twenty on Sugar Mountain" と歌われる「シュガー・マウンテン」という曲をヤングから聞かされた彼女は、返歌としてこの「サークル・ゲーム」を書いた。ミッチェルは1970年10月にロンドンジェームス・テイラーと行ったコンサート[5]で次のように述べている。彼はちょうどロックンロールのバンドを辞めた頃だった。21歳になったからという理由で。21を超えたら十代の女の子が騒ぐようなクラブには決して戻れないんだと彼は言っていた。突き動かされるように彼はフォーク・シンガーになろうとして、丘の上にあがって「ああ、シュガー・マウンテンで暮らすには」っていう歌を書いた。その歌には失われた青春に対する嘆きが込められていた。でも私は思った。私たちみんな21歳になったら、そのあとは何にもなくて、荒涼たる未来しか残されてないっていうの? 冗談じゃない。だから私は彼のために、それから自分自身にも希望をもたらすために曲を書いたの。それがこの「サークル・ゲーム」という曲です[6]

最初に本作品をレコードに吹き込んだのは、カナダのフォーク・デュオ、イアンとシルヴィアである。彼らのバージョンは1967年4月発売のアルバム『So Much for Dreaming』に収録された[7]。同年7月、バフィー・セントメリーがアルバム『Fire & Fleet & Candlelight』でカバーし、1968年12月、トム・ラッシュが同名のアルバム『The Circle Game』でカバーした。バフィー・セントメリーのバージョンは1970年公開の映画『いちご白書』の主題歌として使用された。

ミッチェル自身のバージョンが正式にレコーディングされたのは1970年4月発売の3枚目のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』においてである[1][2]デヴィッド・クロスビースティーヴン・スティルスグラハム・ナッシュの3人が「The Lookout Mountain United Downstairs Choir」という名前でコーラスに加わっている[8]

1970年、彼女はジェームズ・テイラーと二人でコンサートをよく行った。「サークル・ゲーム」はテイラーとのデュエットで披露された。前述の10月にロンドンで行ったコンサートのバージョンはいくつかのブートレッグに収められ[5]、1970年10月16日にバンクーバーで行ったコンサートの音源は2009年11月発売の『アムチトカ』に収められた。

1974年11月発売のライブ・アルバム『マイルズ・オブ・アイルズ』に、L. A. エクスプレスと行った演奏のバージョンが収録されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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