サヴァンナ_(蒸気船)
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サヴァンナ
サヴァンナは帆船で蒸気エンジンも備えていた
基本情報
船種補助外輪付帆船
所有者スカーボラフ・アンド・アイザックス
建造所フィケット・アンド・クロケット
経歴
進水1818年8月22日
竣工1818年
就航1819年3月28日
処女航海1819年5月24日
引退1821年11月5日
最後ニューヨーク州ロングアイランドで座礁
要目
総トン数319 70/94[1]
長さ98フィート6インチ(垂線間長)[1]
全長100フィート(30.48m)[1]
幅25フィート10インチ(7.87m)[1]
喫水14フィート2インチ(4.32m)[1]
機関方式マスト
蒸気機関
主機関直接作動蒸気機関2機
推進器外輪
出力90馬力[1]
旅客定員32名[2]
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サヴァンナ(英語:SS Savannah)は、1818年アメリカ合衆国で建造された、外輪の蒸気エンジンを備えた帆船。1819年5月から6月に大西洋を横断し、「大西洋を横断した最初の蒸気船」として知られる。ただし航海の多くは帆走であった。この歴史的な航海にもかかわらず、貨物を犠牲にしたエンジンと燃料の積載スペースと、革命的な蒸気駆動を受け入れることへの不安から商業的な成功を収めることはなかった。当初郵便船として建造されたが、所有者の(当船とは関係のないところでの)財政悪化により、ヨーロッパからの帰還直後に、純粋な帆船へと変更された[3]。サヴァンナは、1821年ニューヨークのロングアイランドで難破した。

サヴァンナの大西洋横断以降39年間、大西洋を横断したアメリカ船籍の蒸気船は一隻もなかった。二隻のイギリスの外輪の蒸気船、イザムバード・キングダム・ブルネル設計のグレート・ウェスタンとメンジース社のシリウスが、1838年にニューヨークに向かって先着を競ったが、いずれも蒸気のみでの航海であった[4]
建造

サヴァンナは、ニューヨークにある造船所で帆船として建造されていた。この船が船台にある頃、船長モーゼス・ロジャースはサヴァンナ蒸気船会社の財政支援を背景にこの船を購入。世界初の大西洋横断蒸気船という名声を得るために補助蒸気機関を追加した[5][6]

サヴァンナの改造は無事成功し、蒸気機関と外輪が増設された。マストと操帆装置の設置はモーゼスの遠い従兄弟で後に義弟となるスティーブンス・ロジャースが監督していたが、機械設備の設置はモーゼス自らが監督した。

サヴァンナが大西洋を横断した際、そのほとんどを帆に頼っていたため、1833年に横断した蒸気船ロイヤル・ウィリアムが蒸気船による最初の大西洋横断であるとする文献も存在する。なぜなら、ロイヤル・ウィリアムは完全に蒸気機関だけの横断を達成したからである。また、英国で建造されオランダが所有していたキュラサオは1827年に横断する際、数日間にわたって蒸気機関を使用したため、これが最初の蒸気船による大西洋横断だとする文献も存在する。
船体構造

サヴァンナのシリンダーには、ニューヨークに拠点を置くアレアー・アイアン・ワークス社のものが使用されたが[7]、蒸気機関自体と外輪はニュージャージー州に拠点を置くスピードウェル・アイアンワークス社のものが使用された。蒸気機関は直接作動で90馬力の低圧のもの、シリンダーは直径1mのものが使用されていた。サヴァンナの蒸気機関と機械系統は当時ではかなり大型であり、モーゼス・ロジャースは進水後に適切なボイラーを見つけるのに苦戦した。鋳鉄でできた外輪(英語版)の直径は16フィート、一つの外輪に8つの羽根がついていた。また、燃料については石炭75トン、材木25コード尺じめを搭載できた[6][8]サヴァンナの図

燃料の搭載量が少なかったため、サヴァンナの蒸気機関は海が凪いでいて帆だけでは4ノット以下しか出せない場合に限って使用された。使用していない間に蒸気機関が痛むことのないよう、外輪の羽根は棒の代わりに鎖で繋がれており[9]、外輪を折り畳んでデッキに保管できるようにしていた。同様に、外輪の保護具も金属の枠に布を張って作られており、必要のない時には格納できるようになっていた[8]。この外輪と保護具の格納は15分未満で行うことができた。サヴァンナは取り外し可能な外輪を備えた唯一の船としても知られている[10]

サヴァンナの外殻と索具装置は航海長スティーブンス・ロジャースの監督下で建造された。この船は、ロイヤルマストとロイヤルセールを除いては通常の帆船と同じ索具装置を備えていた。現存するサヴァンナの図を見ると、蒸気機関とボイラーのスペースを確保するためにメインマストが通常よりも遥かに船尾寄りに付けられている[11]
内装

サヴァンナには2人部屋が16室設けられており、定員は32名であった[2]。また、女性用の区画は男性用の区画と「完全に分離されていた」と報告されている。談話室は3カ所備え付けられており、絨毯やカーテン、鏡で装飾されていた。特別室は大きく快適で、その内装は郵便船というよりもむしろ豪華客船に近いものであった[11]
運行初期

サヴァンナが大西洋横断公開を始める前、蒸気船はニューヨークで「蒸気の棺桶」と呼ばれ、船長モーゼス・ロジャースは乗組員を集められなかった。そのため、義弟のスティーブンス・ロジャースが故郷のコネチカット州ニューロンドンへ赴き、乗組員を集めた。

1819年3月22日、サヴァンナはニューヨーク港で約2時間の試験航行を行い、蒸気機関の性能を確認した[11]。3月28日の日曜日午前10時、サヴァンナはニューヨークを出航し拠点となるジョージア州サバンナへと向かった。この朝、サヴァンナは午前11時に初めて蒸気機関を使用したが、30分後には荒天により船長判断で外輪が格納され、帆走に再転換した。目的地には4月6日に到着した。207時間の航海の中で蒸気機関を使用したのは41時間半であった。また、到着は午前4時と早朝であったのにもかかわらず、大勢の群衆がサヴァンナの到着を迎えた[12]
大統領の乗船合衆国大統領ジェームズ・モンローは、大西洋航海直前のサヴァンナに乗り、短期航海をした。

サヴァンナ港に蒸気船サヴァンナが到着して数日後、偶然にも合衆国大統領ジェームズ・モンロー造兵廠などの軍事施設の視察のためサウスカロライナ州チャールストンを訪れた。これを耳にしたサヴァンナの所有者ウィリアム・スカーブラフは大統領をサヴァンナ港までの航海に招待するため、チャールストンまで北上するよう船長ロジャースに指示した。

サヴァンナは4月14日にチャールストンへと出航し、2日後に到着した。スカーブラフの招待状が大統領へ送られたが、地元住民はジョージア州の船で大統領がサウスカロライナを離れることに反対したため、モンロー大統領は後日その船に乗ることを約束し、サヴァンナは一度母港へ戻ることとなった。4月30日、サヴァンナは母港へと再び出航し、27時間後に到着した。

5月7日、8日にサヴァンナは石炭を搭載し、11日にモンロー大統領が約束を果たすために訪れた。大統領が乗船した後、サヴァンナは午前8時に港を出発、タイビー灯台へと向かい午前10時30分に到着、午前11時に帰港した。モンローはこの乗船を満喫し、合衆国の船が蒸気船最初の大西洋横断に挑戦することに対する情熱を所有者スカーブラフに語った。また、モンローはサヴァンナの機械設備にも感嘆し、大西洋の横断後には首都ワシントンD.C.までこの船と一緒に来て欲しいとスカーブラフに伝えた。そうすれば、連邦議会がこの船を調査し、キューバ海賊の対処用に購入を検討するだろうと述べた[13]
大西洋横断航海

モンロー大統領の乗船から数日後、サヴァンナの乗組員は船長モーゼス・ロジャース、航海長スティーブンス・ロジャースと共に大西洋横断航海の最終準備に取り掛かった。5月15日の大雨の際には外輪に軽度の損傷が発生したが、船体は問題なかった。


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