サン・マルタ館
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サン・マルタ館
Domus Sanctae Marthae
サン・ピエトロ大聖堂のドームから見たサン・マルタ館
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概要
用途住居、宿泊施設
バチカン市国
座標北緯41度54分2秒 東経12度27分12秒 / 北緯41.90056度 東経12.45333度 / 41.90056; 12.45333
完成1996年
開業1996年
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サン・マルタ館 (サン・マルタかん、羅: Domus Sanctae Marthae, 伊: Casa Santa Marta, 英: Saint Martha's House)は、バチカンサン・ピエトロ大聖堂に隣接する建築物であり、イタリア語からカーサ・サンタ・マルタとも呼ばれる。教皇ヨハネ・パウロ2世在位中の1996年に完成し、ベタニアのマルタにちなんで命名された。建物は現在、聖座とともに働く聖職者のための宿泊施設として機能し、新教皇を選出するコンクラーヴェの際には枢機卿団の宿泊所として使われる。

教皇フランシスコは2013年のコンクラーヴェで選出されて以降、ここを住居としている。基本的な調度品を備えた寝室には、木製の十字架とアルゼンチンウルグアイパラグアイの守護聖人であるルハンの聖母の小さな彫像が置かれている。教皇の寝室の外では2名のスイス傭兵が昼夜シフト制で警備に当たっている。
建物と設備

教皇ヨハネ・パウロ2世は、2度のコンクラーヴェに参加した経験から、そのプロセスを高齢の枢機卿にとってより快適で負担の少ないものとするため、サン・マルタ館の建設を決めた。ヨハネ・パウロ2世は、「コンクラーヴェ以外にも、国務省(英語版)の職員や、可能な限り他の教皇庁の職員にも提供し、教皇との会見や催事、聖座主催の会合のためにバチカンを訪問する枢機卿司教にも役立つものとする」ことを求めた[1]。実際には民間人も宿泊している[2]

建設は「近隣の建物からサン・ピエトロ大聖堂が見えなくなる」としてイタリアの環境保護団体や政治家の反対を受けた。これに対してバチカンの技術部門長は「高さは周囲の建物よりも低い」と反論し、バチカンが領域内に建築する権利への挑戦を一蹴した[3]

建設費は2,000万ドルであったが、うち1,300万ドルはペンシルバニア州ピッツバーグのカジノ主であるジョン・E・コネリー(英語版)が寄付を申し出た。彼はのちにバチカンの絵画の複製をアメリカ国内で販売する契約を結んでいる。コネリーは彼の事業が資金難に陥ったため当初の約束を果たせず、ピッツバーグ以外にも事業を拡大するのに失敗すると絵画の販売契約も取り消しになった[4]。コネリーは建物の設計にピッツバーグの建築家ルイス・D・アストリノを推薦したが、彼の設計は受け入れられなかった。しかし、設計監督としては留まり、隣接する聖霊礼拝堂を設計している[5]。礼拝堂はレオ4世の時代に作られた市壁とサン・マルコ館の間に建っている[6]

5階建ての建物は、106のスイートルームと22の客室、1つのアパートメントからなっており、聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会[1]が運営している。寝室と洗面所、書斎が備えられており、ダイニングの設備や人的サービスも受けられるようになっている。2008年から2009年の間、駐バチカンアメリカ合衆国大使を務めたメアリー・アン・グレンダン(英語版)は「豪華ではないが、快適である」と感想を述べている[2]
以前の建物 サン・マルタ館はバチカン市国の南部に位置する


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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