サン・クリストヴァン
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サン・クリストヴァン
Sao Cristovao


サン・クリストヴァンのサン・フランシスコ広場


市旗市章

位置

座標 : 南緯11度00分54秒 西経37度12分21秒 / 南緯11.01500度 西経37.20583度 / -11.01500; -37.20583
行政
ブラジル
 セルジッペ州
 市サン・クリストヴァン
市長Alexsander Oliveira de Andrade
(PDT)
地理
面積 
  市域437 km2
標高47 m
人口
人口(2007年現在)
  市域71931人
    人口密度  164.6人/km2
その他
等時帯UTC-3 (UTC-3)

サン・クリストヴァン (Sao Cristovao) はブラジルセルジッペ州の旧州都で、ブラジル国内では4番目に古い都市である[1]。歴史地区中心部のサン・フランシスコ広場とそれに隣接する歴史的建造物群は、2010年ICOMOSのかなり厳しい事前勧告を覆して、UNESCO世界遺産リストに登録された。市の面積は437 km2 、人口は71,931人(2007年)である[2]
目次

1 歴史

2 世界遺産

2.1 登録経緯

2.1.1 暫定リスト

2.1.2 ICOMOSの否定的評価

2.1.3 逆転での登録


2.2 登録基準

2.2.1 基準(2)

2.2.2 基準(4)


2.3 登録名

2.4 構成資産

2.4.1 広場北側

2.4.2 広場東側

2.4.3 広場南側

2.4.4 広場西側


2.5 課題


3 脚注

4 参考文献

歴史

サン・クリストヴァンの建設は16世紀末のことで、スペインポルトガルで同君統治が行なわれていた時代のことだった。当時のセルジッペ州一帯は先住民の抵抗が激しかったため、他の都市とつながる入植や交易の拠点が必要だったのである[3]

現在の場所に移ったのは1607年のことであり、パラモパマ川 (rio Paramopama) とヴァザ=バリス川 (Rio Vaza-Barris) 沿いの丘の上に建設されたサン・クリストヴァンは、セルジッペ州の中心都市となった。サン・クリストヴァンはサルヴァドールレシフェをつなぐ交易の中心地となっただけでなく、サトウキビプランテーション建設も含めた一帯の植民地政策の司令部としても機能した[4]

サン・クリストヴァンの山の手 (upper town) には修道院や総督の公邸などが建設された。下町 (lower town) には港や庶民の住宅群が整備されていった[5]。スペインのコロニアル様式が碁盤目状の都市計画を基本とするのに対し、ポルトガルのそれは土地柄に合わせた柔軟な様式であった。サン・クリストヴァンはポルトガル領であったにもかかわらず、スペイン・ポルトガルの同君統治時代にフェリペ2世が発した王令に従って建設されたため、スペイン的な規則正しさが存在している[6]

ブラジル独立後も州都のままだったが、1855年に州都はアラカジュに移った[3]

歴史的建造物群が残る町として、1938年には歴史地区が州指定の史跡となり、1986年には国定史跡となった[7]。2010年には山の手のサン・フランシスコ広場と隣接する建造物群が世界遺産リストに登録された。
世界遺産

サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場
ブラジル

サン・フランシスコ広場(奥は北面の修道院)
英名Sao Francisco Square in the Town of Sao Cristovao
仏名Place Sao Francisco dans la ville de Sao Cristovao
面積3 ha (緩衝地域 2,500 ha)
登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2010年
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法表示

サン・フランシスコ広場は、サン・クリストヴァンの山の手に残る長方形の広場である。山の手はかつて州都だった時代の政治権力や宗教権力の中心地であり、サン・フランシスコ広場にはその時代を象徴する建造物群が並んでいる[5]。北側をフランシスコ会修道院・同付属聖堂、東側を慈悲修道女会の施療院と聖堂、南側を(旧)州知事公邸、西側を5軒の私邸によって区切られた51 m x 73 mの広場で、南北に対して東西が長い。広場の東西南北に面した建造物群は、町の建設当初に由来する宗教建造物もあれば、州都だった時代の公邸もある。さらに私邸も並ぶ周辺の建造物群も含めた広場の景観は、さながら町の歴史の縮図とも言いうるのである[8]

なお、サン・クリストヴァンの人口のうち、歴史地区の住民は約1750人、そのうちさらに世界遺産対象地域に住んでいるのは40人だという[9]
登録経緯
暫定リスト

ブラジルの世界遺産暫定リストに掲載されたのは1996年9月6日のことであった[10]。ただし、このときは「ブラジル北東部のフランシスコ会修道院群」(Franciscan Convents of Northeast Brazil / Couvents franciscains du nord-est bresilien) の一部として掲載されていた。
ICOMOSの否定的評価

その後、ブラジル政府はサン・フランシスコ広場だけに限定して2006年6月に推薦書を提出し、2008年の第32回世界遺産委員会で審議された。その結果は「情報照会」決議で、比較研究の不足、顕著な普遍的価値を示すための推薦範囲の再検討の必要性、保護・管理計画の更なる充実など、様々な改善点が示された[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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