サン・アンヘル
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サン・アンヘル
メキシコシティの地区
エル・カルメン元修道院
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯19度20分49秒 西経99度11分13秒 / 北緯19.347度 西経99.187度 / 19.347; -99.187座標: 北緯19度20分49秒 西経99度11分13秒 / 北緯19.347度 西経99.187度 / 19.347; -99.187
メキシコ
行政区画メキシコシティ
管轄区域アルバロ・オブレゴン

サン・アンヘル(スペイン語: San Angel)はメキシコシティ南西部のアルバロ・オブレゴンにある地区(コロニア)である。サン・アンヘルの名はこの地にあったエル・カルメン修道院の学校「サン・アンヘル・マルティル(殉教者聖アンヘル)」に由来する。

歴史的に修道院を中心とした田園地帯だったが、19世紀末から20世紀にかけてメキシコシティのスプロール現象が到達し、修道院は閉鎖された。今も歴史的な建物が残り、エル・カルメン修道院跡は博物館になっている。1856年以来毎年花祭りが開催されている。
地理

サン・アンヘルはメキシコシティの南西部に位置し、インスルヘンテス通りを境にしてメキシコ国立自治大学大学都市と接する[1]。歴史的にメキシコシティ中心からのスプロール現象とは無縁だったが、20世紀なかばに都市化にのみこまれた[2]

2千年ほど前、近くのシトレ火山 (Xitle) の噴火によって形成されたペドレガルと呼ばれる火山性の岩床に囲まれている。溶岩の一部はペドレガル・デ・サン・アンヘル地区のように保護地区になっている。
見どころ
エル・カルメンエル・カルメン教会の内部

エル・カルメン複合建築物はカルメル会修道院跡で、今は博物館になっている。サン・アンヘルのランドマークであり、とくに教会の上のタイルで覆われた3つのドームが有名である[3]。エル・カルメンは教会、修道院跡、学校の建物から構成されている[2]。学校(コレヒオ)は1613年に設立されたが、建物の建設がはじまったのはその2年後である。修道士アンドレス・デ・サン・ミゲルによって設計されて1615年に礎石が置かれ、1617年に竣工した[2][4]。教会は1624年から1626年にかけて建てられ、殉教者聖アンヘル (Angelus of Jerusalem) に捧げられた。その設計はスペインのサン・ホセ・アビラ修道院を元にしている[2][3]

修道院と学校は1939年に国立人類学歴史研究所の管理下にはいり、1955年に博物館として開館した。メキシコシティでもっとも訪問者の多い博物館のひとつになっている[5]

博物館に人気がある理由のひとつは地下聖堂に展示されているミイラである[2]。17世紀から19世紀にかけて、修道院が運営資金を得るひとつの方法として、現地の裕福な家族の寄付者のために地下聖堂を墓として準備した。遺体の大半は長年かけて骨になった後に掘り起こされて器に移されるが、一部の遺体は分解しなかった。1917年から1918年にかけて軍隊が宝物を求めて修道院を略奪したとき、よく保存された自然のミイラを地下聖堂で発見した。博物館では12体のミイラを展示しているが、密封されたケースに入れられているわけでないため、その多くは劣化が進んでいる[6]
その他サン・ハシント広場の土曜市花祭り

サン・ハシント広場は地区の中心にある広場で、土曜日のアートバザールで知られる[2]

ディエゴ・リベラフリーダ・カーロの仕事場の建物は博物館になっており、メキシコシティ最初の機能主義建築としてフアン・オゴルマン(英語版)によって建てられた。博物館は、聖土曜日に燃やされる紙製のフダスの人形のコレクションで知られる[2]

カリージョ・ヒル美術館はメキシコのもっとも優れた現代美術コレクションのひとつを持ち、芸術家のための研究援助センターにもなっている[2]

7月には花祭り(Feria de las Flores)が開催される[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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