サンルイスオビスポ
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サンルイスオビスメB
City of San Luis Obispo

ビショップ峰の頂上から東のサンルイスオビスポの町を見下ろす
愛称 : SLO
位置

カリフォルニア州におけるサンルイスオビスポ郡(下図)およびサンルイスオビスポの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度16分27秒 西経120度39分47秒 / 北緯35.27417度 西経120.66306度 / 35.27417; -120.66306
歴史
市1956年2月16日
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
 サンルイスオビスポ郡
 市サンルイスオビスポ
市長ジャン・ハウェル・マークス
地理
面積 
  市域27.7 km2 (10.8 mi2)
    陸上  27.6 km2 (10.7 mi2)
    水面  0.5 km2 (0.2 mi2)
      水面面積比率    1.66%
標高71 m (233 ft)
人口
人口(2010年現在)
  市域45,119人
    人口密度  1300人/km2(3500人/mi2)
その他
等時帯太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : ⇒City of San Luis Obispo

サンルイスオビスポ(: San Luis Obispo、発音: [san ?lu??s ??b?spo?])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部サンルイスオビスポ郡の都市である。太平洋セントラルコーストに沿い、サンフランシスコロサンゼルスの中間にある。1772年に設立され、州内でも最古級の町である。地元では"SLO"、"SLOタウン"、"S.L.O"、また"サンルイス"とも呼ばれ、ダン・ビューターによる全国地理書『繁栄』によれば、「アメリカで最も幸福な都市」とされてもいる。サンルイスオビスポ郡の郡庁所在地であり、カリフォルニア州立ポリテクニック大学が市内にある。2010年国勢調査での人口は45,119人であり[1]、2000年国勢調査時点より2.1%増加している。サンルイスオビスポとはスペイン語で「(トゥールーズ)司教の聖ルイ」という意味である。目次

1 歴史

2 地理

2.1 気候


3 人口動態

3.1 収入


4 政治

4.1 市政府

4.1.1 消防署

4.1.2 著名な条令


4.2 州と連邦議会


5 経済

5.1 主要雇用主


6 教育

7 交通

8 文化

9 著名な出身者と住人

9.1 サンルイスオビスポで生まれ、あるいは育った人物

9.2 サンルイスオビスポに住んでいた人物

9.3 バンド


10 脚注

11 外部リンク

歴史 1876年のサンルイスオビスポ

サンルイスオビスポとなった地域に最初に住んだ人類はチュマシュ族インディアンであり、紀元前5,000年から10,000年の間頃に近辺に住んだとされている。最も初期の集落はサンルイスオビスポの南にあり、河口が今よりも内陸にあり海面が高かった完新世前期の地形を反映していた。チュマシュ族はセントラルコーストの入江や湾で海洋資源を採取し、ロスオソスやモロクリークにあったものなど集落のネットワークで生活していた[2]

1769年にガスパル・デ・ポルトラらの探検隊がこの土地を通過した。熊が多かったので、この一帯を「ロス・オソス」(oso はスペイン語で熊を意味する)と呼んだ[3]。1772年にフランシスコ会の重視する聖人であるトゥールーズ司教の聖ルイ(en)の名を冠した「ミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロス」の建物の建設がはじまった。

メキシコ独立後、1834年にミッションは通常の小教区となり、土地は払い下げられてランチョ(大牧場)が成立した。アメリカ合衆国によるカリフォルニア征服当初、サンルイスオビスポは無法者の土地として悪名を響かせていた[4]

サンルイスオビスポにはかつてパーム通りやチョロ通り近辺に急成長するチャイナタウンがあった。太平洋海岸鉄道やサンルイスオビスポとパソロブレス、パソロブレスとカンブリアとを繋ぐ道路を建設するために、中国系アメリカ人のアー・ルイスが中国から労働者を連れてきた。1884年から1894年にはサザン・パシフィック鉄道を通すためにクエスタ山脈を通すトンネル工事もあった。チャイナタウンはアー・ルイスの店など中国人が所有経営するパーム通りの事業周辺に形成された。今日、ミー・ヘン・ロウのチャプスイ店がこの文化で唯一の名残であり、チャイナタウンの再活性化が企画されている。この時代の記念品となるものが幾つか、かつてチャイナタウンがあった所に建設された駐車場の1階に展示されている。サンルイスオビスポ歴史協会にも移りゆく時代の展示物がある[5]

車文化の高まりとともにサンルイスオビスポはアメリカ国道101号線やカリフォルニア州道1号線で人気のある立ち寄り場所だった。その人気のゆえに、1925年に世界最初のモーテルであるマイルストーン・モーテルができた。 サンルイスオビスポ郡歴史博物館、元はカーネギー図書館

サンルイスオビスポの歴史的建造物の中には、モントレー通り696にある元サンルイスオビスポ・カーネギー図書館がある。この図書館は1900年代初期にカリフォルニア州の142の図書館を設立したアンドリュー・カーネギーから1万ドルの資金を得て1905年に建設されたものである。ロマネスク様式のこの建物はワトソンビルの建築家W・H・ウィークスが設計し、サンルイスオビスポの建築業者ジョセフ・マリノが建設した。


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