サンマリノのユーロビジョン・ソング・コンテスト
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サンマリノ
San Marino
Saint-Marin

加盟放送局SMRTV
国内選考大会内部選考

2008

2011 - 2017

2019

2020(アーティスト)

2021
1in360

2018
Digital Battle

2020(曲のみ)
Una voce per San Marino

2022 - 2024

出場
出場回数14(決勝=3)
初出場2008
最新の出場2024
最高順位19位: 2019
最低順位24位: 2014
準決勝敗退20082011201220132015201620172018202220232024
無得点2017準決勝審査員票2023準決勝
外部リンク
Eurovision.tvのページ
ヴァレンティーナ・モネッタコペンハーゲンでの2014年大会にて。Serhat、テルアビブでの2019年大会にて。

サンマリノのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、サンマリノにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。サンマリノは2008年大会で初めてユーロビジョンに参加した。
歴史
2008年の初登場

2007年6月、サンマリノの放送局・Radiotelevisione della Repubblica di San Marino(SMRTV)は、近い将来にユーロビジョン大会に参加したいとの意向を表明し、全ては株主、特に1997年大会から大会に参加していないイタリア放送協会次第だとした。5ヵ月後、SMRTVはベオグラードで開催される2008年大会への参加の意思を確認した[1]

初参加となった2008年のサンマリノの代表曲はミオディオ(Miodio)によるイタリア語の楽曲「Complice」であった。サンマリノはユーロビジョンに新規参入した50箇国目の国となり、準決勝では5番目に登場したものの、わずか5得点を得るに留まり、決勝への進出はかなわなかった。この年の大会で優勝したジーマ・ビラーンはしかし、その優勝ツアーをサンマリノで終えた。
2009年の不参加

SMRTVは当初、モスクワで行われる2009年大会への参加を計画していた。サンマリノ文化大臣は、2008年大会の直後に声明を発表し、再度の参加に「良い希望を持っている」とした。しかしSMRTVは2008年大会を振り返り、年末までに2009年大会への参加について決定するとした[2][3]

2008年の参加成績が良くなかったために、SMRTVが2009年大会への不参加を考えているとの噂が流れた[4]。しかしSMRTVはその噂を否定し、2009年大会への参加意欲を表明した[5]。しかし最終的にSMRTVは、大会参加の手続きを済ませていながら不参加を決定した。これは前年の結果が良くなかったためではなく、SMRTVの資金難によるものであった[6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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