『ちびくろサンボ』(英: The Story of Little Black Sambo)は、世界的に広く読まれている童話、絵本。もとは軍医であった夫とインドに滞在していたスコットランド人、ヘレン・バンナーマン(ヘレン・バナマン)が、自分の子供たちのために書いた手作りの絵本であった。のちに公刊され、多くの海賊版(後述)によって広く流布した。
概説アメリカ版の表紙(1918年)
手作りの本として誕生した『ちびくろサンボ』は、知人を通してイギリスの出版社に紹介され、1899年に英国のグラント・リチャーズ社より初版が刊行された。子供の手に収まる小さな絵本で、文も絵もヘレン・バンナーマン自身によるものである。
著作権の混乱から、アメリカ合衆国ではいわゆる海賊版が横行した。改変された箇所も多く、特に絵は原作と違うものが使われることが多かった。その多くは主人公をインドの少年から、アメリカに住むアフリカ系黒人の少年に置き換えたものであった。このことが、後に人種差別問題と深く関わってくることになる。
またアメリカ版では、かなりの部分で設定の置き換えが行われた。一例をあげれば、主人公の少年が迷い込むジャングルは竹やぶから森に替えられ、またある挿絵では、少年の母親はアフリカ系婦人のふくよかな特徴を与えられた。しかしトラが登場する箇所に関しては、当時のアメリカの海賊版編集者の多くが実物を見たことがなく、イメージできなかったためか、改変を免れている。こうして一部の海賊版では、アフリカを想起させる背景描写と、インドを想起させるトラの混在が行われるようになった。 日本で広く知られるようになった、岩波書店の日本語版『ちびくろ・さんぼ』(1953年(昭和28年)刊、120万部以上が売れたとされる)も、こうしたアメリカ版の1つであるマクミラン社版(1927年刊)に使われていたフランク・ドビアスの絵を用いている(ただし、岩波版では絵のレイアウトなどが、翻訳者である光吉夏弥によって改変されている)。日本でもアメリカ同様にこの絵本には著作権がないとみなされていたため、海賊版が横行し、国内の主要な出版社ほとんどすべてから70種類を越えるいろいろな『ちびくろサンボ』が出版された。日本で出版されたものの多くは、主人公の名前を「サンボ」と片仮名書きし、「ちびくろ」を平仮名で形容詞的に用いていたため、『ちびくろサンボ』という表記が最も一般的なものとなり、これらのいろいろな異本を総称する場合も『ちびくろサンボ』とするのが普通である(そこで、この項目でもこの表記を見出しとして用いている)。このように多くの異本が出回った中で、岩波書店版は最初に広く普及したものであったことから、オリジナルと違う絵が使われていたにもかかわらず、日本ではいわゆる定本と見なされてきた。 しかしその後、アメリカでの黒人の公民権運動の高まりと連動して黒人差別であるとの批判を受けるようになり、1988年(昭和63年)には出版社が一斉に絶版させる処置を行った(後述)。これにより岩波書店版を含め、事実上すべての出版社のものが自主的に絶版となり、書店から回収されるに至った[1]。 一斉絶版問題以前には、ヘレン・バンナーマンによる原作そのままを日本語訳したものは出版されないままであった。原作そのものの日本語版が出版されたのは、1999年(平成11年)の『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳・径書房刊)が初めてである。同じ径書房から英語の完全復刻版も出版されている。 主人公は、父ジャンボ・母マンボと一緒に暮らしている男の子、サンボである。 両親から新しい紫の靴・赤い上着・青いズボン・緑の傘をもらったサンボは、竹藪に出かける。しかし通りかかった4頭のトラたちに喰われそうになり、身に着けたものを一つずつ与えることで許してもらう。サンボは裸にされ、号泣する。 一方4頭のトラたちは、戦利品を奪い合って尻尾を噛んで輪になって木の周りをぐるぐる回りはじめる。その間にサンボは、与えたものをすべて取り返すことに成功する。トラたちは最終的に溶けてギー(インドのバター)になってしまう。サンボ一家はそのギーでパンケーキ[2]を焼く。マンボは27枚、ジャンボは55枚、サンボは169枚も食べた[3]。 双子の弟「ウーフ」「ムーフ」が生まれ(ともにサンボ自身による命名)、サンボは面倒をよく見る優しいお兄ちゃんになる。誕生日にはプレゼント(マグカップ・赤と青の色違いの帯)をして可愛がる。 ある日サンボが夕食の羊肉を焼く薪を取りに行ったすきに、双子は2匹の悪いサルに誘拐されてしまう。サルたちは、双子が逃げられないように高い椰子の木の上に隠す。
日本語版
ストーリー