サンパウロFC
原語表記Sao Paulo Futebol Clube
愛称Tricolor(トリコロール)
Soberano(統治者)
O Mais Querido(最愛の人)
Clube da Fe(信念のクラブ)
クラブカラー 赤(レッド)
白(ホワイト)
黒(ブラック)
創設年1930年
所属リーグカンピオナート・ブラジレイロ
カンピオナート・パウリスタ
所属ディビジョンセリエA
セリエA1
ホームタウンサンパウロ
ホームスタジアム
エスタジオ・ド・モルンビー
収容人数67,052
代表者 ジュリオ・カザレス
監督 ロジェリオ・セニ
公式サイト ⇒公式サイト
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
サンパウロFC (ポルトガル語: Sao Paulo Futebol Clube) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とするサッカークラブである。 サンパウロ市内の高級住宅街、モルンビー
概要
ブラジル国内にはサンパウロFC(SPFC)を名乗るクラブが複数あるが、人気・実力面で最も有名なのはこのクラブである。チームのマスコットは聖パウロで、応援にもよく使用される。
サッカークラブ世界一を決めるトヨタカップ(現FIFAクラブワールドカップ)で過去3回優勝(1992年・対FCバルセロナ、1993年・対ACミラン、2005年・対リヴァプールFC)しているほか、コリンチャンス、パルメイラス、サントスFCなどの強豪クラブが覇を競うカンピオナート・パウリスタにおいても20回以上の優勝を記録するなど、サンパウロ州だけでなく、ブラジルを代表するサッカークラブの1つである。
人気の面では、サンパウロ州でコリンチャンスに次いで人気があり、ブラジル全国では、CRフラメンゴ、コリンチャンスに続き、3番目に人気のあるクラブである[1]。なお、ファンは『サン・パウリーノ(Sao paulino)』と呼ばれている。(サンパウロ州民を意味する『パウリスタ(paulista)』とサンパウロ市民を意味する『パウリスターノ (paulistano)』と区別されている。)
世界的に人気があるサッカー漫画『キャプテン翼』の主人公・大空翼が最初に所属したプロチームとしても知られている。
歴史
クラブの源流
CAパウリスターノ(Club Athletico Paulistano)
1900年12月29日、上流階級向けスポーツクラブであるアトレチコ・パウリスターノのサッカー部門として創設。当時、基本的にイギリス人やドイツ人の移民のためのサッカークラブのみが活動していた中で、ブラジル人のためのクラブ創設という要望に応える形で誕生した[2]。
1902年に開幕したカンピオナート・パウリスタでは、初年度から3年連続で2位となり、4シーズン目の1905年に初優勝を遂げた。その後、1916年から1919年にかけて4連覇を達成するなど、1929年までに11回の優勝を数え、アマチュアリーグ時代に最も成功を収めたクラブとなった[2]。
ブラジルサッカー界にプロ化の機運が高まると、伝統的なアマチュアリズムを追求するCAパウリスターノはプロ化の潮流に反してリーグを離脱し、別リーグのLAF(Liga dos Amadores de Futebol:サッカーアマチュアリーグ)を1926年に立ち上げた。しかし、このリーグは4年しか存続できず、1930年1月8日にCAパウリスターノは解散した[2]。
AAパルメイラス(Associacao Atletica das Palmeiras)
1902年11月9日にクラブ創設。SEパルメイラスとは別クラブ。エリートチームであることを特徴としており、1915年までは、博士課程学生・エンジニア・法学士しかプレーすることが認められなかった[3]。上流階級向けクラブであるCAパウリスターノとは運営方針における親和性が高く、協調して行動することが多かった[2]。
1904年にカンピオナート・パウリスタに初出場を果たすと、1909年、1910年、1915年に同大会を制した。1926年にCAパウリスターノがリーグプロ化に反対して別リーグ(LAF)を創設すると、AAパルメイラスもこれに追従した。その後、プロ化への道を模索するも条件を満たすことができず、1929年12月に解散した[2]。 CAパウリスターノとAAパルメイラスの解散後、両クラブの中でプロ化を支持していたメンバーが合流して、1930年1月25日にサンパウロFCを結成した。両クラブ合わせて、これまでにカンピオナート・パウリスタを大会全体の約半数に相当する14回制しており、強者連合による後継クラブとしてサンパウロFCは誕生した。新しいユニフォームは、源流となる2クラブの伝統を継承して、赤と黒のストライプが採用された[2]。 サンパウロFCとして最初の公式試合は、1930年3月16日に行われたカンピオナート・パウリスタでのCAイピランガ(CA Ypiranga
サンパウロFC
1935年、サンパウロFCは同じくサンパウロを拠点とするCRチエテ(CR Tiete)と合併し、最終的に同年12月16日に現在の形態となった[2]。
1年間の空白期間を経て、1936年にカンピオナート・パウリスタに復帰。1940年代に入るとサンパウロFCは最初の黄金期を迎え、この10年間でカンピオナート・パウリスタを5回制した。以降、同じサンパウロ州を本拠地とするコリンチャンス、パルメイラス、サントスFCとライバル関係を形成し、同大会のタイトルをこの4クラブでほぼ独占している。
コパ・リベルタドーレスには1972年に初出場を果たした。1992年から1993年にかけて、コパ・リベルタドーレスおよびトヨタカップをともに連覇した。当時の主力メンバーには、カフー、ザーゴ、ピンタード、ライー、ミューレルなどがいた。1992年のトヨタカップはヨハン・クライフ監督率いるFCバルセロナに、翌1993年はファビオ・カペッロ監督率いるACミランにそれぞれ勝利している。