サンパウロ日本人学校
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サンパウロ日本人学校


国公私立の別私立学校
設置者サンパウロ日本人学校学校教育会
設立年月日1967年8月14日
共学・別学男女共学
学期3学期制
所在地 ブラジル サンパウロ市
Estrada do Campo Limpo,1501-Sao Paulo-SP,Brasil.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯23度38分42秒 西経46度45分57秒 / 南緯23.64500度 西経46.76583度 / -23.64500; -46.76583座標: 南緯23度38分42秒 西経46度45分57秒 / 南緯23.64500度 西経46.76583度 / -23.64500; -46.76583
公式サイト ⇒公式サイト (日本語)
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サンパウロ日本人学校(ポルトガル語正式名称 : Sociedade Japonesa de Educacao e Cultura[1]、ポルトガル語正式名称直訳: ブラジル政府公認社団法人サンパウロ日本人学校教育会、略称: サ日校)は、ブラジルサンパウロ市校外にある日本人学校小学部中学部を置く。

日本のカリキュラムに則った義務教育(一条校)相当の教育施設(1995年1月、日本国の小学校中学校の課程と同与党の課程を有する在外教育施設として文部大臣より認定)であり、日本の小中学校と同等と日本政府から認められている。一方、ブラジル国内においては、この法人文化団体の中において唯一の事業として設立された「Escola Livre」(各種学校)の認可(1988年)でしかなく、ブラジル国の法に則る義務教育の学校ではない。

ブラジルの教育カリキュラムに則っていない、ほぼ全ての授業で日本語による教育、4月から33とブラジルの教育期間とのズレ等の理由により、法的カリキュラムに従っていない「CURSOS LIVRES」で学んだ生徒の履修科目認定のポルトガル語証明書発行は不可と、ブラジル教育省からの通達を受けている。また、ブラジルの義務教育学校に割り振られているMEC番号は付与されていない。
略歴

1967年:日伯文化普及協会の日本語講座として発足。

1968年:中学部を開設。サンフランシスコ・ジャビエル学園内に校舎を移転。

1969年:ブラジル政府より「社団法人サンパウロ日本人子弟教育会」として認可。

1970年:ジャバクアラ校舎に移転。

1974年:カンポリンポ校舎に移転。校歌完成。

1977年:中学部校舎完成。

1978年:校章制定。

1980年:パルメイラスジュニアチームとの親善試合開催。

1981年:生徒・児童数が過去最高の905人に。

1982年:第二体育館が完成。

1984年:校内博物館が完成。

1988年:サンパウロ州教育審議会(CEE)より「Escola Livre」(各種学校)として認可(CEE2.053?81)

1992年:文化祭「カンポリンポ祭」第1回開催。

1994年文部省の在外教育施設として認定。

1995年:パソコン教室完成

1996年養護学級「ひまわり学級」設置。

1997年:パルメイラスジュニアチームとの2回目の親善試合開催。

1998年:ホームページ開設。

1999年:低学年用プール竣工。

2000年:中学部多目的室、および球技場工事完了。

2001年:小学部英会話授業開始。

2006年:日本語の名称を「サンパウロ日本人学校教育会」に変更。

2007年:創立40周年。パソコン教室の改修。

2012年:第2体育館に人工芝工事完成、エスパッソと改名。

2013年:運動場配水設備工事。体育館天井断熱工事。

2015年:図書館改修、図書情報センターと改名。特別支援学級(Sabia学級)設置。普通教室にプロジェクター常設。

2017年:創立50周年

2018年:教室照明LED化。

2019年:大プール配管交換などの大規模修繕工事。

歴史
第二次世界大戦前の日本人学校

1908年笠戸丸による初の本格的移民から8年経った1915年に、当時日本人移民が多く集まっていたコンデ街にブラジル初の日本人学校である「大正小学校」が設立された(なお、大正小学校と現在のサンパウロ日本人学校には経営、運営上の繋がりはない)。

その後日本からの移民が増えたことを受け、日本人学校の開設が相次ぎ、1932年にはブラジル全土に200を超える日本人学校が運営されていた(なおこれらの日本人学校は、日本政府の学校教育法のもとに運営されていた学校ではなく、現在でいう無認可校であった)。

しかし、移民の同化政策を推進していた当時のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領の命令によって、1938年にはブラジル国内の全ての日本人学校が閉鎖されることとなった。その上、1939年に勃発した第二次世界大戦においてブラジルが日本に対して宣戦布告を行い、枢軸国連合国に分かれ交戦状態に置かれることとなったため、日本人学校の閉鎖も戦後に至るまで続くこととなった。
設立リベルダージ

1952年4月に日本とブラジルの国交が回復し、さらに1960年代に入り日本の高度経済成長に伴う日本企業のブラジル進出が進み、日本企業の駐在員の子弟が増加していたことを受けて、1967年在サンパウロ日本国総領事館日系ブラジル人日本企業らの協力を受け、日本人街リベルダージ(現在は東洋人街と変わっている。)にあるブラジル日本文化協会ビル内に、日伯文化普及協会の日本語講座として戦後初の日本人学校が設立された。

なお、この日本人学校は戦前の日本人学校を引き継ぐものではなく、全くの新しい日本人学校として設立された。この頃になると新しい日本人移民がほとんどいなくなっただけでなく、戦前の日本人移民も2世、3世と世代が進みブラジル社会への同化が進んだ事もあり、その子弟のほとんどがブラジルの学校へ通い、日本語を身に着けたいものだけが日本語学校へ通うようになっていた。

そのために、この新しい日本人学校が対象とする生徒は、戦前の日本人学校のような日本人移民の子弟ではなく、数年の任期でサンパウロに駐在する日本企業の駐在員や外交官独立行政法人などに勤務するものの子弟が中心となった。
中学部開設

設立当初の生徒数はわずか28名であったが、その後もブラジル経済の発展に合わせ日本企業の進出が増加し、生徒数が急増したことから教室数を増加させるとともに中学部を開設した。1968年にはさらなる生徒数の増加に対応する為に、市内のイピランガにあるサンフランシスコ・ジャビエル学園内に移転し、1969年にはブラジル政府より「社団法人サンパウロ日本人子弟教育会」として認可された。(この日本語による名称は、2006年に「社団法人サンパウロ日本人学校教育会」に変更している。)
在外教育施設に

1970年にはコンゴニアス国際空港近くのドイツ系学校跡地のジャバクアラ校舎に移転し、初の専用校舎を持つことに至った。1971年に当時の文部省から在外教育施設として認定を受け、日本国内と同様のカリキュラムに基づいて授業が実施されることになる。さらに、1995年1月に、文部科学大臣から日本国の小学校および中学校の課程と同等の課程を有する在外教育施設(一条校と同等)として認定を受ける。
カンポリンポに移転

1974年には、好調なブラジル経済の発展を受けた日本企業の進出の増加による更なる児童、生徒数の増加を受けて、現在校舎が所在するサンパウロ郊外のカンポ・リンポ地区に移転した。

なお、この敷地は元々アメリカ人が所有していた牧場であり、ブラジル国内にフィルムカメラの製造工場を建設すべく土地を探していた富士フイルムの紹介によってこの地への校舎の建設が決まった。なお、現在も牧場であった当時の建物の一部が使用されている。


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