サンドウィッチマン_(お笑いコンビ)
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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年2月)


大言壮語的な記述になっています。(2018年9月)


独自研究が含まれているおそれがあります。(2018年9月)


雑多な内容を羅列した節があります。(2024年5月)
出典検索?: "サンドウィッチマン" お笑いコンビ ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL

サンドウィッチマン
左から伊達みきお、富澤たけし(2012年)
メンバー伊達みきお
富澤たけし
結成年1998年
事務所ホリプロ
フラットファイヴ
グレープカンパニー
活動時期1998年9月 -
出会い仙台商業高等学校
(現仙台市立仙台商業高等学校ラグビー部
旧コンビ名ゆやゆよん(富澤)
親不孝
銭と拳
バイキング
現在の活動状況テレビラジオ・ライブなど
芸種漫才
コント
ネタ作成者富澤たけし
現在の代表番組

サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん
サンドのぼんやり?ぬTV
サンドウィッチマンのラジオやらせろ!バナナサンドなど
過去の代表番組熱烈!ホットサンド!
サンドウィッチマンの東北魂
サンドウィッチマンの天使のつくり笑いなど
同期麒麟
トータルテンボス
だいたひかるなど
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2007年 M-1グランプリ 優勝
2009年 第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
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サンドウィッチマンは、グレープカンパニーに所属する伊達みきお富澤たけしからなる日本お笑いコンビ司会者1998年9月コンビ結成。愛称及び略称は「サンド」。M-1グランプリ2007王者、キングオブコント2009準優勝。
メンバー2021年8月20日、東京パラリンピックの聖火の集火式にて
伊達(左)と富澤(右)詳細は「伊達みきお」および「富澤たけし」を参照

※特記を除き、出典は公式プロフィール[1]

名前パート生年月日血液型出身地
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富澤(とみざわ) たけしボケ[2]・ネタ作り[3] (1974-04-30) 1974年4月30日(50歳)AB型

ネタによっては伊達が即興的なボケを入れたり、富澤がツッコミに回ったりすることもある。
略歴

2人は仙台商業高等学校(現・仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、同校のラグビー部で知り合う。

高校卒業後、伊達は福祉系の専門学校へ進学するも3か月で中退。父親の斡旋で福祉関連の会社に就職し、会社員として働くつもりだった。一方で芸人の道を志していた富澤は、就職して正社員になると芸人を目指しにくくなるという理由でアルバイトを続けていた[4]。1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に定めた富澤は伊達を誘うも断られ[4]、小・中学時代からの別の友人とコンビ「ゆやゆよん[注 1][5]」を結成。アマチュア活動を行なっていたものの、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった[4][6]

当初から伊達とのコンビ結成を熱望していた富澤は、すでに福祉関係の仕事に就いていた伊達を3年間に亘って口説き続けた。最終的に伊達は祖父の死をきっかけに「限りある人生、どうせなら好きな事をやらないと」と悟り、会社を辞める決意をした。1998年9月にコンビ結成[4]。同年に上京してコンビ名を「親不孝」とする。この時は先に上京していた芸人仲間と同じホリプロ預かり(後所属)となるが[4]、後にフリーへ転身すると共にコンビ名を「銭と拳(かねとこぶし)」に改名[4]。同時期に一度だけ「バイキング」というコンビ名で舞台に出たが、その際に他の出演者から同じコンビ名の芸人(バイきんぐ)がいると言われたため元に戻した[7]

その後、24歳の時にホリプロでの同期だった浜田ツトム(元メインストリート)を入れてトリオ「サンドウィッチマン」を結成する。当時は浜田がツッコミで、2人ともボケだった。僅か1年で浜田は脱退するが、元のコンビ名には戻さず現在に至る。このように、ホリプロやH・R事務局に所属していたもののお笑いに理解のないマネージャーなどからネタの中身について注意されるのを嫌い、自由にネタをできる事務所を探した結果フラットファイヴへ所属する[4][注 2]。また、移籍先の候補にはソニー・ミュージックアーティスツもあったが当時の自宅から近すぎたため、除外していた。

ライブには出演していたが、キー局でのテレビ出演がないまま年月は流れる。その頃の富澤は、自ら伊達をお笑いの世界に誘いながら一向に結果を出せていない事に負い目を感じ、コンビ解散や自殺まで考えていた[8]。気が付けば30歳になっていた2人は2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。そんな中でついにその実力がテレビ関係者の目に留まり、『エンタの神様』(日本テレビ)への出演が決定する。

2005年5月28日、『エンタの神様』に初登場。披露したネタは「ピザのデリバリー」[注 3]だった。収録の際、あまりにもウケすぎて観客の笑い声が2人のピンマイクにも入ってしまい、撮り直すべく同じネタをもう一度披露するという前代未聞の出来事が起きた。以降は知名度が上がり、同番組には定期的に出演するようになる。

2006年5月13日・2007年9月24日に新宿シアターモリエール、2006年7月22日は仙台141にて単独ライブを開催。満員御礼となった。また、10月27日には2人の母校である仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」へ出演した[9]。交通費込みで10万円と破格の出演料だった。

2007年12月23日、M-1グランプリ2007において初の決勝進出を決めると1stステージは9番目に登場して1位でFinalステージ進出を決める。最後は審査員7人から4票を獲得し大会史上初であった敗者復活枠からの優勝を成し遂げた(後にトレンディエンジェルも達成)。

2008年1月26日、イトーヨーカドー仙台泉店で、『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』(FMいずみ)の公開収録を行った(観衆は2000人)。村井嘉浩宮城県知事から「みやぎ夢大使[10]」を委嘱され、泉区長からは区長賞を授与された。

2009年5月11日、伊達がフリーアナウンサー熊谷麻衣子との結婚を自身のブログで公表、7月11日に挙式・婚姻届を提出した。また同年6月8日、富澤が年下の一般人女性と同年4月2日を以ての結婚を所属事務所を通じて公表した。

キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し、初出場にして決勝進出。1stステージは2位以下に大差をつけて首位で折り返す。だが、Finalステージで東京03に逆転され準優勝に終わり、M-1との2冠を逃した。翌年以降は出場しておらず、M-1優勝後にキングオブコントへ出場して決勝進出を果たした最初のコンビ(またはグループ)となっている。以降、2021年までの12年間はサンドウィッチマンのみであった(2021年はマヂカルラブリーが同様にM-1優勝後にて決勝進出した)。

2009年、夏から秋にかけて初の全国ツアーを開催。以後も毎年開催され、コンビ活動の柱となっている。

2010年7月1日、約5年間所属したフラットファイヴを退社。担当マネージャーと共に現事務所・グレープカンパニーを立ち上げた。同時にフラットファイヴの所属だったほとんどの芸人たちもグレープカンパニーへ移籍した。これはフラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコが、サンドウィッチマンのM-1優勝に触発され漫才業の再開を理由とする円満移籍である。

2011年3月11日、宮城県気仙沼市の漁港にて、『サンドのぼんやり?ぬTV』(TBCテレビ)のロケの最中に東日本大震災東北地方太平洋沖地震)が発生し被災したが、即座にスタッフと出演者が全員無事である旨をブログで報告[11]後述)。

2012年から、中川家ナイツと共に3組で「漫才サミット」と称する合同ライブを定期的に開催、各コンビが持ち回りで主催する形で全国を巡っている[注 4]

2016年、欅坂46冠番組である『KEYABINGO!』(日本テレビ)のMCに就任[12]

2017年は全国ツアーの一環として、自身初の海外公演となる結成20周年目記念ロンドン特別公演を開催。チケットが即日完売となる。

2018年、『日経エンタテインメント!』(日経BP)発表の「好きな芸人ランキング」で調査開始以来14回連続でトップに君臨していた明石家さんまを抜き、1位に躍り出た[13]

2019年、日本とスペインを拠点に活動するピアニスト・川上ミネとのコラボレーションで初のスペイン公演を開催した。

2024年、既に東北楽天ゴールデンイーグルスの応援大使を務めているが、球団創設20周年イヤーを盛り上げるべく「20周年アンバサダー」に就任した[14]


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