サントリーホールディングス株式会社
Suntory Holdings Limited
サントリーホールディングス本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社
略称サントリーHD
本社所在地 日本
〒530-8203
大阪府大阪市北区堂島浜2丁目1番40号[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分42.6秒 東経135度29分43.3秒 / 北緯34.695167度 東経135.495361度 / 34.695167; 135.495361
サントリー(英: Suntory)は、大阪府大阪市北区に本社を置くサントリーホールディングス株式会社(英: Suntory Holdings Limited)を中心とする、洋酒、ビール、清涼飲料水の製造・販売等を行う企業グループの総称およびブランド。事業の主要な部分はアルコール飲料だが、1980年代以降、清涼飲料水においても一定の地位を築いた。
かつては初代のサントリー株式会社を中心とするグループであったが、2009年4月1日より持株会社制に移行。2022年7月1日に子会社のうち日本国内の酒類事業が再編され、二代目のサントリー株式会社となった。
歴史・概要
創業から持株会社制導入以前
1899年(明治32年)2月1日 大阪市西区靱中通2丁目(現・靱本町1丁目)にて、鳥井信治郎が葡萄酒の製造販売を目的とした鳥井商店(とりいしょうてん)を創業。
1900年(明治33年)大阪市西区北堀江通2丁目(現・北堀江)へ移転、次いで大阪市西区西長堀北通2丁目(現・新町1丁目)へ移転。
1902年(明治35年)大阪市南区安堂寺橋通2丁目(現・中央区南船場)へ移転。
1906年(明治39年)9月1日 壽屋洋酒店(ことぶきやようしゅてん)と改称。
1912年(明治45年)3月15日 大阪市東区住吉町(現・中央区松屋町住吉)へ移転。
1913年(大正02年)2月 合名会社壽屋洋酒店に法人化。
1914年(大正03年)2月1日 合資会社壽屋洋酒店に組織変更。
1921年(大正10年)12月1日 株式会社壽屋(ことぶきや)設立。
1922年(大正11年)3月6日 合資会社壽屋洋酒店を株式会社壽屋に合併。
1945年(昭和20年)
3月13日 大阪大空襲により本社全焼。臨時営業所を大阪市北区堂島中1丁目に開設。
10月9日 大阪市北区堂島浜通2丁目2-1へ移転。
1958年(昭和33年)6月6日 大阪市北区中之島2丁目22新朝日ビル7階へ移転。
1963年(昭和38年)3月1日 サントリー株式会社と改称。
1971年(昭和46年)4月 大阪市北区堂島浜通2丁目1-40へ移転(現在地)。
1907年(明治40年)4月発売の「赤玉ポートワイン」(1973年「赤玉スイートワイン」と改称)が驚異的な売上を記録。1923年(大正12年)6月には竹鶴政孝が入社し、1929年(昭和4年)4月に日本初となる本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」(1964年「サントリーウイスキーホワイト」と改称)が発売された。この商品が初めて「サントリー」を冠した商品である。
「赤玉ポートワイン」の「赤玉」を太陽に見立ててサン(英語のsun)とし、これに鳥井の姓をつけて sun + 鳥井(とりい)= サントリー とした。創業の基となった赤玉ポートワインに感謝し、太陽を忘れるなと言う思いを込めたものである。「鳥井さん」(とりい・さん)を逆さにしてサントリーとした、鳥井に三人の男子がいたから「三鳥井」にした、という説も広まっているが、これは誤りである[注釈 2]。創業者の「佐治」さんと「鳥井」さんを合わせて、「サントリー」という説もある。
1928年(昭和3年)12月に日英醸造を買収してビール事業に乗り出すが、1934年(昭和9年)2月に売却。