サントリーサンバーズ
原語表記サントリーサンバーズ
ホームタウン大阪府箕面市、大阪市
クラブカラー赤
創設年1973年
所属リーグV.LEAGUE DIVISION1
チーム所在地大阪府大阪市
体育館所在地大阪府箕面市
代表者水谷徹
監督山村宏太
ホームページ公式ウェブサイト
サントリーサンバーズは、大阪府箕面市を本拠地とする男子バレーボールチームである。2023-24シーズンはV.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属。 1973年4月にサントリー男子バレーボール部が結成された[1]。1975年、日本リーグ(現・Vリーグ)初昇格。 チーム名『サンバーズ』は太陽鳥(英語の複数形なので語尾が「ド」でなく「ズ」で終わる)の意味で、「燦然と輝く太陽に向って羽ばたく不死鳥のように」との思いからつけられ、Suntoryの最初の3文字にもかけている[1]。 練習場所はサントリー箕面トレーニングセンター体育館であり、見学も可能である[2]。ホームゲームは、ホームタウンである大阪府のほかに、サブホームタウンである東京都大田区でも開催され、熊本市でも開催されることがある。 一般ファン向けには、ファンクラブが設立されている。 2013年現在、Vリーグでは唯一の永久欠番を持つチームである(16番ジルソン・ベルナルド)[3]。 1973年4月結成。ミュンヘンオリンピック金メダリストのメンバーである大古誠司も入部した[4]。 1974年実業団リーグ(現・V・チャレンジリーグ)入り。リーグ入り1年目にして、第6回大会で準優勝し、入れ替え戦で神戸製鋼を得点率の僅差で破り、結成2年で日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格を果たした[4]。 1975/76シーズン、初参戦となった第9回日本リーグでは4位に入るが、翌シーズンの第10回日本リーグでは1勝9敗の最下位に低迷し、入れ替え戦で松下電器(現パナソニック・パンサーズ)に敗れて実業団リーグに降格した[4]。 1978年、第10回実業団リーグで優勝したが、入れ替え戦で東レ九鱗会(現・東レ・アローズ)にセット率で敗れ日本リーグ復帰ならず。しかし、1979年、第11回実業団リーグで連覇を果たして臨んだ入れ替え戦で東レ九隣会にリベンジを果たし、3シーズン振りの日本リーグ復帰となった。以降、日本リーグに定着する。同年、全日本都市対抗優勝大会(現・黒鷲旗)で初優勝し、結成6年にして初の全国優勝を果たした。[4] 1984/85シーズン、第18回日本リーグで準優勝を果たす。同シーズンの黒鷲旗では2度目の優勝を果たした。1990/91シーズンも、第24回日本リーグで準優勝を果たし、黒鷲旗で3度目の優勝。 1994年、日本リーグ優勝経験のないままで日本リーグにとって替わりVリーグが開幕。しかし、その第1回で悲願の初優勝を果たした。同シーズンの1995年黒鷲旗でも4度目の優勝を果たした。 1999/00シーズンの第6回Vリーグで主砲・ジルソン・ベルナルドを中心に、5年振り2度目の優勝を果たす。同シーズンの黒鷲旗、Vカップでも優勝を果たし3冠を達成した。翌シーズン以降もVリーグ連覇を続け、2003/04シーズンの第10回Vリーグで前人未到のVリーグ5連覇を達成した。第8回以降の3シーズンは、レギュラーラウンドを4位で突破しての優勝だった。5連覇中のMVPは全てジルソンであり、2004年のジルソン退団を以って、功績を称えて背番号16番を永久欠番とした。2004/05シーズンの第11回Vリーグでは序盤の連敗が響き、レギュラーラウンド5位となり、ファイナルラウンド進出を果たせず連覇が止まった。 2005/06シーズンの第12回Vリーグでは優勝決定戦まで進むも堺ブレイザーズに敗れ準優勝。 2006年より日本人プロ契約制度を導入し、越川優が第1号選手となった[5]。 2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより改称)では予選ラウンドを23勝5敗の1位、セミファイナルも3戦全勝で通過し、迎えた優勝決定戦でも東レ・アローズをセットカウント3-1で下し、3年振り7度目の優勝を決めた。2007/08V・プレミアリーグではレギュラーラウンドを圧倒的な成績で1位突破するもの、セミファイナルラウンドで2勝しながらセット率で3位となり決勝進出を逃すという悔しいシーズンとなった。2008/09V・プレミアリーグでもレギュラーラウンドを1位突破しながら、セミファイナルラウンドで3位となり優勝を逃した。 2010年8月、4シーズン監督を務めた河野克巳が退任し(以降2016年までゼネラルマネージャーを務める。)、荻野正二がヘッドコーチとして指揮を執ることとなった[6]。 2012年4月、Vリーグ機構規約第19条違反があったとして、機構から制裁処分が下された[7]。チームは故障者が多く万全な体制で臨めずファンや関係者に迷惑をかけたと謝罪した[8]。 荻野体制で2シーズン優勝できず、2012年、新監督にイタリア国籍のパオロ・モンタニャーニ 2014年、チーム5連覇に大きく貢献したジルソン・ベルナルドが監督に就任[11]。
概要
歴史